YJ文庫『駄目なひと#6』

  物事が上手くいくかどうかは結局のところタイミング次第だと思う。どんなに準備をしてきたことだってタイミングが合わなかったら充分に効果を発揮できないし、なんなら失敗しちゃったり。割りと世界はタイミングで成立しているというか、だからこそ「タイミングが…」という言い訳は最強だ。全ての経緯や原因を説明しているし、それ以上の説明が必要ない便利な言葉だし、言われたら何も言えなくなる。まあ、良くも悪くも。

  5月。連休の初日に私はハニャコのお芝居を観に行った。明日から二泊3日で新山さんと韓国旅行に行くことになっている。お芝居というものを私は観たことがなくて、そりゃ、子供の頃の学芸会とかで観たことはあるけれど、ちゃんとした観劇はしたことがなくって、しかもハニャコがやるということで私は楽しみにしていた。

  劇場は吉祥寺で、私はあまり行ったことのない土地なのでそういったワクワク感も相まってハードルが高くなっていたのかもしれないけれど、結論から言うと糞だった。いや、糞だったというか単純に面白くなかった。いや、面白くなかったというか意味がよくわからなかった。
  最初から順を追って話すと、劇場が綺麗で思っていたより大きくてポスターなんかも沢山貼ってあってハニャコもまあまあ大きく写っているというか《ゲスト》なんて名前の前についてたりして凄いじゃんと興奮した。私はその劇団を知らなかったけれど、お客さんも満杯で開演前ニギニギしていたので、その『街八分座』という劇団は結構人気の劇団なのかもしれない。座長はなんかテレビドラマの脇役で顔を見たことがある気がした。
  物語は、世間から落ちこぼれてしまった主人公(理由は最後までわからない)と幼なじみのヒロイン(ヒロインなのに男の役者がやっていた。男である必要は最後まで見たけどなかった)との二人で男女混合ビーチバレーの世界大会に出場する為に飛行機に乗るところからはじまって、飛行機の離陸時にそこで働く整備員だとかCAだとかが急に踊りだして意味不明だった。ミュージカルなのかと思ったけど踊ったり歌ったりしたのはそこだけだった。大会の場所に向かう途中で飛行機が事故(例のごとく理由は最後までわからない)にあい無人島に墜落。そこで肌の黒い原住民(言葉は普通に通じてしまう)とのふれあいを経てバレーボールの腕前が上がり(謎)世界大会に筏で向かおうとすると、いつの間にか戦時中で、このお芝居は最初から戦争反対がテーマでした。みたいな感じになっていき、登場人物が全員死んで、特に思い入れのないキャラの死がやたらと長かったり照明が凝っていたり、実は主人公の心の中の出来事でしたみたいなオチ(それもあやふやな感じにしてある)で、感動的な音楽が流れて終わりみたいな内容で、は?ナニコレ感が凄惨極まりない。細かいところにおいても流れとかその役の性格とか関係なく唐突にふざけたりして、それに対して主人公が下手くそなツッコミを入れるみたいなシーンが散見して辛い。しかもなんだ観客席にいるのは知り合いだとか友達だとか家族とかなのか、それが結構ウケる全然面白くないのに。それも不快なので客席にも味方がいない状態で孤独感が半端なく、身内ネタみたいのもふんだんに盛り込まれていて、風刺なのかオマージュなのか何なのか元ネタはわからないけど寺山修司がどうとかみたいなシーンとか私は「知らねえよ」としか言えねえよみたいなシーンも多くて、終わってみれば90分くらいの公演だったのに夜行バス(しかも4列シート)で東京から大阪に向かったくらいの体感時間と身体的疲労だった。
  肝心のハニャコはロシアから来た凄腕女スパイ主婦ビーチボーラーで、最終的にはカステラになっちゃうんだけど(なんだソレは)、急にドイツ語でべらべら喋るシーンがあって、嘘だらけのお芝居や胡散臭い役者達、愛想笑いばっかする客達の中でハニャコのドイツ語だけが圧倒的に本物で、なんだかバランスが可笑しくて笑ってしまった。笑ってはいけないシーンだったのか周りで泣いてる人もいたのでジロリと睨み付けられて慌てて笑うのを止めた。これで4500円である。ふざけるな。漢字で言おうか。巫山戯るな。人生で一番無駄な4500円の使い方をした。そういう気持ちになった。カーテンコール後にロビーで出演者と話せるみたいのがあったけど、ハニャコにどんな顔して会ったらいいかわからなくて素通りしようとしたら捕まって、私は精一杯自然に見える作り笑いで「面白かったよ」と言うと、まんざらでもない顔で「次もまた誘うね」と言われた。次がいつになるかはわからないけど既に予定が入っていてタイミングが合わず来れないと思う。私は夜の部も頑張ってねと告げ劇場を後にした。

  時計を見ると17時ちょっと前で、ハッキリ言ってこのまま帰りたくなかった。この謎の敗北感を抱いたまま帰りたくなかった。なにか美味しいものが食べたかった。しかし吉祥寺に土地勘がなくてぷらぷらして入った店が美味しくなかったら連敗することになる訳で、そうなるともう洋服を衝動買いしてストレスを発散するしかなく、旅行前にそれは避けたい。帰るか真っ直ぐ。それが一番傷が浅く済む気がする。駅のホームでぼうっとしていると中々電車が来なくてそれすら苛々する。ホームにある路線図を見ていると隣の駅が西荻窪、その次が荻窪で、あれ荻窪ってなんだっけ。どこで聞いたんだっけと頭を巡らすと、松坂くんが住んでいるところだと思い出した。私は『今なにしてんのー』とLINEをするとすぐ既読がついて『家でゴロゴロしてる』とすぐ返事が来た。お。

『今、吉祥寺にいるんだけど』
『そうなの。え、なにしてんの?』
『お腹すいたんだけど』
『質問に答えないスタイルじゃん』
『何か美味しいもの食べたいんだけど』
『吉祥寺?何食べたいの』
『辛いの』
『じゃあ美味しい韓国料理屋あるよ』
『韓国料理だけはパス』
『あ嫌いだった?』
『いやむしろ好きだけど』
『じゃあ何で韓国料理ダメなの?』
『お腹すいたんだけど』
『無視じゃん。え、お腹すくとエリカ様になっちゃう感じ?』
『…別に。』
『フリには応えるじゃん』
『ねー、お腹すいたー』
『じゃあタイ料理は?』
『タイ料理ねえ』
『タイ料理です』
『タイ料理ねえ』
『あ嫌いだった?』
『女にはタイ料理食わせとけばいいって感じが腹立つ』
『なんだそれ』
『仕方ないな。タイ料理を奢らせてあげよう』
『何で上からなんだよ』
『どうしたらいい?』
そこで急に会話が滞り既読もつかない。こういう次どうしたらいい?というタイミングで既読がつかないと1、2分でも凄く長く感じる。まだ既読がつかない。つかない。つかない。松坂のくせに。つかない。ついた。プクンとLINEの通知音。
『じゃあ西荻窪来て。隣の駅』
『吉祥寺じゃねーのかよ』
また少し滞ったあとに『どうでもいいけど、口悪いな』と返事があった。そこで丁度電車が来たので私はそれにピョイと飛び乗った。