ヤバ・い

ちょっとさ、本気ヤバいんだけど。


あ、上の本気は「マジ」と読んでね。なぜ漢字で書いたかというと「マジヤバイ」とカタカタで全部書くと頭が悪そうな感じが夥しく、さらに「ヤバイ」じゃなくて「ヤバい」と『い』はひらがなで書いたのは、まず「ヤバ」というものがあって「い」をつけることによって形容詞になってるんだよと暗に示すことで少しでも賢しげに見せる為です。頭の悪い人はこうやって少しでも頭が良く見えるように日々努力しています。や、勉強しろよ。なんて身も蓋もないこと言わないでね。まあ、そもそも「ヤバイ」ってのが何なのか知らないけど。
ちょっと自分でも何を言ってるのかわからなくなってきたので一応調べると【やば・い…「やば」の形容詞化。もと、盗人や香具師などの隠語】とあった。適当なこと言ってたら当たってたよ!

 

話がズレてしまいましたが、ズレたというか話が始まってもいませんでしたが、何が本気ヤバいかというと、我が家の経済事情である。

もう激ヤバ。僕はコンビニでアルバイトしてたんですが、そこがコロナの影響で閉まった。ホワチャ!結構大きめの家庭的な市場である。
コンビニが閉まるって相当だね!と思いますよ。何かいよいよだな、と。
お笑いの仕事は3月4月5月と壊滅している訳で、ということは4月5月6月のお笑いの収入は限りなく零に近い訳で、ここにバイトの給料も入らないとなったらこれはもう本気ヤバい。
さらにタイミングの悪いことに5月末に現在住んでいる賃貸の更新があるプギャー。


俺はねえ、つくづく思ったよ。このブログをnoteでやってりゃ良かったと。何ですか?ワタクシよく知らないんですけどnoteには読者が金銭で以て支援してくれるシステムがあるんですって?みんな窮窮としているとは思いますがこんな時だからこそ支援していただける余裕のある方もいるかもしれない。
元々、日々の雑記としてはじめたブログですから、金銭を稼ぐなんてとてもじゃないが出来ませんよ!と無料のブログやってきたんですが、もうこうなったらそんな悠長なこと言ってられません。なにせ本気ヤバい状態ですから。

なので5月から、このブログはnoteに移行したいと思います。何を書いたらいいんだろう。こんなん書いたら金銭的に支援しまっせ!というのを教えていただきたいですね。このブログ今まで楽しく読んできたよ!という方も今までの記憶で恵んでくれ!なにとぞ賃貸を更新させてくれ!

つうか、まだちゃんと調べてないけどすぐ出来るもんなのかな?こういうの疎いから調べなきゃ。


とにかくこれがこのブログ最後の文章になります。アデューアデュー

僕には期待していることがあってね

僕には期待していることがあってね。それはいくつかあるんだけど、そのひとつとしてピルクルがもう少しだけ美味しくなかったらいいのになあ、と思うんですよ。ピルクルって美味しいじゃないですか、だから飲んじゃう。ガブガブ飲んじゃう。するとねやっぱ、お腹壊すんですよ。だからピルクルが今よりもちょっとだけ美味しくなかったらいいのにな、と期待してしまうんですね。ガブガブ飲まなくて済むから。でも、もし今よりもちょっとだけ美味しくなくなったら買わないけどな。矛盾してるんだけど、そんな事を思っちゃいますね。だからこれからもお腹を壊し続けるんだと思うんだけど、1ヶ月だけ今よりもちょっとだけ美味しくないとかなら、美味しかった記憶で飲み続けられるとは思うけどね。あれ?あんま美味しくないなあと思っても、今までの美味しい記憶から、なんか体調悪いのかな?と自分の方を疑うけどね。で、次の月はまた普通の美味しいピルクルに戻す。こう隔月で今よりもちょっとだけ美味しくないの出すのどうだろうか。
でも隔月という決められたペースだと、俺くらいのピルクラーならすぐそのサイクルに気づいてしまいそうだな。ピルクラーを騙すならやっぱ不定期というか、そんな感じにしないと駄目ですね。
でも流石に2ヶ月続けて今よりもちょっとだけ美味しくないのを供給したら、そのままピルクラー卒業なんて人も出てきてしまいそうだから、それは止めた方がいいと思うんだよね。俺はね、それだけは止めた方がいいと日清ヨークに進言する為に電話をかけるのも吝かではないよ。
あと、たまにピルクルの豪華版みたいのも出てるけど、美味い。美味いんだけどやっぱり普通のピルクルが一番美味いね。そう考えると、今のピルクルも美味くなりすぎているのを抑えている状態ということになる訳なんだけど、やっぱり開発部の人達の多大な努力で成り立っている味なんだよね。それをね、ちょっと美味し過ぎてガブガブ飲んじゃうから今よりもちょっとだけ美味しくなくしてくれとかいう基地の外にいるクレーマーとかね斬したいね。斬ね。斬殺。
そもそもね、今よりもちょっとだけ美味しくなくなったら次は買わないし、今からはじめてピルクルを飲む人もいる訳だからね。最初にピンコナだと2回目の購買はずっと先になっちゃうからね。ピンコナってのはピンとこないの略ね。いや略ならピンコナって略した時にコナまでカタカナになってるのおかしいだろ!ちゃんと「ピンこな」にしろよ!とか言ってくる人が散見出来そうだけど、もうその意見がピンコナだよね。俺に言わせりゃ略された時点でひとつの単語だからね。だったら文字のニュアンスは統一した方がいいよね。

 

僕には期待していることがあってね。このコロナが落ち着いたら、もうめちゃくちゃ優しい社会になるんじゃないかと思っているんですよ。だって今まで普通に出来た・あったものが、出来なくなった・なくなったりした訳ですから、あらゆる事に対して人は感謝して優しくなれるんじゃないかと思ってんですよ。事細かに書いてたら辛気くさい説教っぽいブログになったんで割愛ですよ。削除に次ぐ削除で長いブログが6割減りましたね。
とにかく来年か再来年になるのかわからないけどTOKYOオリンピックなんてものはコロナを克服した人類の最初の世界的なイベントになる訳で、尋常じゃなく盛り上がるんじゃないですかね。そんなの少し考えただけでわくわくが止まらないというか嬉ションですよね。
世界中の人が集まってきてピルクルを飲む訳ですよ。これはもう世界にピルクルが見つかっちゃう。や、や、や、ピルクルみたいな商品世界中にあるから!とかインターネット戦士がしゃしゃり出て来そうですが、しかも、そもそもヤクルトがあるからね!とかも言ってきそうですが、もうそんな奴らには野良犬のゲロを喰わせたい。違うんだよなあ。言いたいこと全然伝わってないんだよなあ。
ヤクルトもモチロン美味いよ。でもあれは味を濃く且つ一本が少量になっていることでお腹を壊すほど飲むなよ馬鹿!と予め注告してくれているわけですよ。
ピルクルの美味しさ、味の濃淡、量。それらが絶妙過ぎてこちらはガブガブと飲み便がジャブジャブになってる訳ですよ。うん。


僕には期待していることがあってね。去年の夏から秋にかけて超大型の台風がいくつも日本列島にやって来たでしょ?
その内の一回の話なんだけどね深夜バイトしてたのよ我。で、店の中から外見てたらね、もう風も雨も物凄いの。道路が川みたいになっちゃって樹木もバンバン折れて飛ばされて道路にひっ転がってんの。でね、それを片付けてる人達がいたのよ。そうなの。台風のただ中に。深夜に。俺はもう感動しちゃってね。バイト中なのに泣きそうになっちゃったよ。こういう人達のおかげで、次の日も普通に社会が機能してんだなって。彼らも仕事ですよ。でもね仕事ってだけでそんなこと出来ませんよ。いやいや彼らは能力や学歴がなくてそういう危険な仕事しか出来ないんだよとかいう腐った精神性のホワイトカラーもいそうですが、そんなことがね、もうね、言えなくなるどころかね、思いもしなくなる社会がやってくる。と期待しているんですよ僕は。コロナ後の世界にね。期待してるんですよ。ならなきゃ嘘だよ。

 

やさしい雨が一番スベった時の話

テレビに出てスベったら、それこそ何万、何十万、何百万人。下手したら何千万人の前でスベったということになる訳だけど、目の前にお客さんがいないのでイマイチピンとこない。観客を入れて行われる収録はもちろん多数あるけれど、テレビに出てスベるというのは仕事がなくなるという形で体感出来る。当たり前だけど、ライブでスベるのとはペナルティの次元が違う。
だけど、その瞬間、最大風速でスベったなと体感出来るのはやはりお客さんの前に立っている時で、やさしい雨にとってそれは、NHK新人演芸大賞の決勝でしょう。


あれは震災のあった年だったからもう9年前の話ですね。毎年NHK新人演芸大賞というのが開催されていて、一般的な認知度はそれほどなんですがまあ由緒ある賞です。決勝の会場は東京と大阪を年毎に順繰りに開催されていて、予選を勝ち上がった関東勢4組、関西勢4組の計8組がその座を競うシステム。

僕らが決勝まで残った年は中川家さんがMCで決勝は大阪で行われた。
ニッチェが優勝した年で他の出場者は、さらば青春の光スーパーマラドーナ、ソーセージ(アキナの前身)、チキチキジョニー、2700、囲碁将棋、やさしい雨だった。
ホールについてから、ネタを一回通してやるリハをやるんだけども、その時に全員のネタを見れる。
言うか。まあ、結果わかってるからもう言っちゃうか。俺は他の人のネタを見て優勝出来ると思った。ヨッシャと思った。当時でも、やさしい雨が断トツで知名度がなかったけれど俺は他の人のネタを見て「…勝った」と思った。もちろんみんなネタ凄く面白いんだけど、そんな面白いネタを見た上で尚、松崎にこっそり「これいけるな…」と耳打ちしたくらいだ。松崎も頷いてたくらいだ。とんだ自惚れである。
というのも当時その決勝でやったネタに自信があった。こりゃいいネタが出来た!という手応えがあり、まず太田プロライブではじめて一位をとれて、他所のライブでも軒並み大ウケで、芸人からの評価もよく、それでこの決勝までサクッと残れたから相当自信のあったネタでした。しかも何かテレビのレギュラーとかあったりネットラジオやってたりして、ちょっとノってる時期でこう全身にみなぎるヤル気というかそういうモノが溢れていた。
ネタは『3分ハンティング』といって、3分クッキングに準えた女性の落とし方講座みたいな内容なんだけど、まあここまではよくあるネタだけど、後半の展開は当時僕は他で見たことないやつで、自画自賛が過ぎるけど、発明だと思った。


で、本番。
やさしい雨で、というか僕の人生で一番スベることになる。会場にいた数千人が5分間全く笑わなかった。4分かな?どちらでも関係ない。なにせ体感時間は10分くらいあった。あの規模で空調の音が聞こえた。プライベートも含めて一番スベった。凄い体験です。こんな経験お笑いやってなきゃ中々出来るもんじゃない。

まあ、ひとつ自らフォローさせてもらうとその日、全員スベってた。「いやぁウケましたね~」という人は優勝したニッチェ含め一組もいなかった。そうなるとみんな面白いネタやってたのにそんな感じということは、一番やっちゃいけないことだけど、客が悪かったと悪態をつきたくもなるもんですよ。ま、確かにウケるポイントが東京とは違うというのは感じた。けど関西勢も苦戦していたから訳がわからん。この数年後、営業で大阪いくけどその時もまあスベった。なので大阪嫌い。苦手とかじゃなくて嫌い。もう単なる偏見だけど関西人嫌い。


とんでもないスベり方をして、もう美味しいものを食べるしかない!と思っていたら、終わるのが22時とか過ぎてたから勝手に泊まりだと思っていたら日帰りで、他の関東勢は泊まっていったりするのに、なぜかやさしい雨は日帰りで、次の日仕事なんかないのに弾丸で、タクシー飛ばして降りたら駅の中走って急いで新幹線乗り込んで。
あの時の「や、帰りますよ」とふてぶてしく言ったマネージャーの顔が忘れられません。悪い意味で。

そんな人生で一番スベったNHK新人演芸大賞でしたが、得られるものもモチロンあって審査員にきたろうさんがいたんだけど、やさしい雨へのコメントを僕は凄い大切にしてきた。
僕らにコメントしてくれた他の審査員に俳優の内藤剛志さんがいたんだけど「内容と間が詰まっていて沢山練習したんだろうな、と努力の結晶のようなネタでした」的な事を言ってくれて、その後すぐにきたろうさんに「や、凄い頑張ったのはわかるんだけど、俺らの仕事はそれが見えたら駄目だよね」と言われた。
そのあと「ぐうの音も出ません」とコンビで声が揃った時だけその日お客さんにウケた。
まさにきたろうさんの言う通りだ。ホントは誰にも真似出来ないような難しいことを誰にでも出来そうと感じられるように、誰にでも真似出来るように飄々とやってこそ『芸人』だろ、と。それを叩きつけられて納得してしまった。きたろうさんカッケぇ!と項垂れてしまいました。
まあ、時代は変わって今は『頑張ってます!』と全面に出していった方がウケやすいのかなとも思います。


そういえば帰りの新幹線のホームに内藤剛志さんがいて「僕は良かったと思うんですけどねえ。引き続き頑張ってください!」と声をかけていただいて、少し胸が熱くなった。

東京の予選で審査員をしていた作家さんが帰り日帰りの僕らに缶ビール自腹で奢ってくれた。ありがたかった。新幹線にもついてこなかったパイナップルみたいな髪型のマネージャーが憎かった。どう頼んだらそんなパイナップルみたいな髪型になるんだよ。気になるよ。聞けず仕舞いだったよ。確かアイツ大阪泊まってったんじゃなかったかな。怪しからんですよ全く。
まあ、スベる前はあんなに自信のあるネタで方々のライブでやっていたのに、それ以降一度も、マジの一度もやってませんね。この前久々にそのネタの台本みたらダメなトコだらけで笑えましたけど。というか決勝の様子はテレビでも流れたからとんでもない人の前でスベってたんだな。うは

 

 


次回は、やさしい雨が結成した時の話。

 

煙草をあげた思い出

何か急に思い出したことがあって、僕が二十歳くらいの頃、髪の毛を自分でアッシュグレーに染めて失敗して苔みたいな色になってた頃に、新宿の中央公園の広場に面した階段に座って煙草を吸っていると、ツンと路上生活者特有のアンモニア臭が鼻をついた。見やるとロジョーのおっちゃんが近寄ってきて「もし宜しければ一本。頂けませんか」と言ってきた。
なんか見た目の感じだと「アヒアヒフヒヒ。あんちゃん、あんちゃんってばあレロレロレロ。あんのーチュパ、あんのーチュパチュパ煙草 。煙草やね。煙草一本くりーやヒヒあんじょう頼んまっせ(口臭モワ~ン)」みたいな喋り方をしそうだったのに、えらく丁寧で物腰も柔らかく低姿勢だったので、僕がいいですよと一本あげると「ありがとう御座います」と言いながら睡眠薬を1錠くれて去っていった。煙草一本より睡眠薬1錠の方が高くつきそうだけど。何だったんだろう。まあ、それ以降同じ時間・場所で煙草を吸っていてもそのおっちゃんは現れなかった。


僕はこのように、煙草一本ちょうだいと言われると友人、知人はもちろん得体の知れない人でも結構すぐあげちゃっていた。
なぜなら煙草を吸えない苦しみを知っているからだ。金がなくて飯が食えなくても牛丼よりも煙草を選択していた。まあ、当時はまだ煙草が安かったというのもあるだろうけど。


時は経ち、深夜にコンビニエンスなストアでアルバイトをしていて朝方、店の前で煙草を吸っていた。その店舗前の道路は四車線あるけど、深夜や朝方は人も車も通らないような通りだった。
ある朝、煙草を吸っていたら鳩が物欲しそうに一羽僕の前を首をふりふり歩いていた。彼は、彼女かもしれないけど、どこか怪我でもしてるのか不様な感じでピョコピョコ歩いていて痩せていたし、何だか僕は心がぎゅうとなって、廃棄になったパンを千切ってあげると大変喜んでくれた。次のシフトの朝方にもその鳩はきて、パンくずをいそいで食べるその様が可愛くて毎回パンを千切ってあげていた。すると口コミなのか、みるみる鳩の数は増えていき30羽くらい集まるようになって、中にはパンじゃなくて雌の鳩狙いの雄とかもいて、鳩の社交場みたいになってきた。
諸事情から今では鳩を見かけたらお湯をぶっかけないと気がすまない程憎んでいる僕だけど(詳しくは2019年3月19日更新分の『鳩戦争2019~春の陣~』をどうぞ)昔は鳩が好きだった。鳩も個体によって全然性格が違くて、そのうち何羽か常連は見分けられる様になってきた。徐々に雀も集まってきて、鳩が雀にパンくずを与えないように追いかけ回したりして意地悪するんだけど、雀の方が素早くて大体雀はパンくずをGET出来ていた。そのうち鴉まで来るようになって最盛期は鳩50羽、雀10羽、鴉20羽くらい集まってきてしまい、朝方その通りは鳥だらけ。鳥まみれ。みたいになってきて、鴉はGANGみたいなモンですから、通りのゴミ箱を漁り散らかしてスラム街のようになってしまい、僕はパンくずをあげるのをやめた。

パンくずをあげるのをやめても暫くは、朝方煙草を吸いに外に出ると、僕の姿を見た鳩達は寄ってきた。パンくずをくれない僕の前をバタバタと羽ばたいたりして催促が凄かったけど、僕はあげたい気持ちを押さえて鹿十して過ごした。

すると徐々にいなくなり、完全に来なくなると少し寂しい気持ちになったけど仕方ない。
ある朝方、雨が降っていたし寒かったので、多分11月とかだったと思う。

店の前で煙草を吸っていると車も人も歩いていない通りを傘もささずトボトボと歩く作業着姿のおっちゃんがいた。手には鬼ころしのパックを持っていた。
雨がまあまあ降っているのに、そのおっちゃんは10メートルを1分くらいかけてトボトボと進み、大層疲れている感じだった。

僕はいつもなら2本吸ったら真面目に仕事に戻るんだけど、そのおっちゃんから目が離せず3本目に火をつけた。
トボトボと歩き、ようやく僕の目の前を通りすぎる時に目が合った。おっちゃんは充血しきった真っ赤な目で睨んできた。あんなトボトボ歩いていた男の眼光ではなかった。傷を負った獣さながらの眼光の鋭さだった。僕は何だか心がぎゅうとなり気づいたら「一本吸います?」と声をかけていた。
おっちゃんは、急に幼くなったような顔になって、多分それがびっくりした顔なんだろう。え?いいの?と言って、店の前の少し屋根のあるところで雨宿りしながら一緒に煙草を吸った。
僕が「こんな雨の中どうしたんですか?」と聞くと、おっちゃんは暫く黙ったあと「仕事が上手くいかなくて」と言った。また少し黙って煙草を吸ったあと「信頼していた仲間に裏切られた」と付け足した。
これは相当ヘビーな状況なのかもしれない。おっちゃんはそれ以降「もう駄目だ。終わった」みたいなことをぶつぶつ言いながら煙草を吸っていた。煙草を持つ手が寒さからなのか、絶望からなのか震えていた。俺は黙って煙草を吸っていた。おっちゃんはやがて煙草を吸い終わり、短く礼を言って立ち去ろうとしたので僕は「僕には、どれくらい辛いか分からないから無責任なこと言いますけど、あと一回だけ頑張ってみません?」と言った。
「は?」
「いや、もう限界なのかもしれないけど、その限界のとこからあと一歩だけ行ってみませんか?どうせ終りならあと一歩だけ。良くなるかもしれないし。良くならなかったら、まあ、それでいいじゃないですか」


ひとつ言っておくけど、盛ってません。俺はこんなドラマチックな台詞を吐いた。するとおっちゃんは顔をくしゃくしゃにしてわんわん泣きはじめて、ありがとう、ありがとう、兄ちゃんいいこと言うな。と、もうボロッボロに泣いて、ずぶ濡れの作業着だしボロ雑巾のような姿だった。僕は心がぎゅうとなって少し待ってて下さいといい店内に戻ると、廃棄であった焼きそばパンを掴み「これ、もし良かったらどうぞ」と手渡すと、おっちゃんはまた一瞬顔が幼くなった後「俺ルンペンじゃねえからッッ!」と凄い剣幕で帰っていった。雨脚は一層強くなり、全然やさしい雨じゃなかった。


俺はいつの間にかおっちゃんを鳩と同じ扱いしていた。ごめんおっちゃん。

あのおっちゃん元気かな。

 

 

やさしい雨で一番辛かった仕事

きっと、其れよりも辛かった仕事はあるんだろうけど、はじめてちゃんとした仕事だったから記憶に残っていて、それが一番辛かったと感じるんだと思います。
やさしい雨で一番辛かった仕事は『拉致監禁される』という仕事です。

 

ある日、事務所からCMのオーディションがあると言われ、太田プロの事務所は四谷三丁目にあるんですが、オーディション会場は四ツ谷なので歩いて行けるよと言われ事務所で地図をもらいふたりで歩きはじめました。なんのCMのオーディションだろうねと話ながら、四ツ谷三丁目と四ツ谷の丁度真ん中辺りまで来たところで、歩道の脇にあったゴミ箱からボガッと音がしてビックリしていると、黒ずくめの男達が数人現れ僕らを捕まえようとしてきた。
こういう時って人によって全然反応違うんですよね。松崎は驚きで固まって動けなかった。僕は男達が近づいてくるので走って逃げました。横目で松崎が捕らわれるのを見つつ全力疾走。体力には自信があった頃なので、男を振り切って逃げる事に成功。
逃げ切って少し落ち着くと、黒い男達はショッカーの格好をしてたなと思い、あ、これドッキリかなんかかな?と思って現場に戻ると、ちょ、どうする?みたいな空気になっていたショッカー達に捕まり、車に乗せられてアイマスクとヘッドホンをつけられた。ヘッドホンからは大音量でヘビメタが流れていて怖かった。体感時間で一時間くらい移動して降車。ヘッドホンをくいっとあげられて、前の人の肩を掴んで移動してと言われなすがまま移動。結構歩いた。ふかふかのカーペットの部屋に到着したのが何となく分かり、ここでしばらく待っていて下さいと言われた。アイマスクとヘッドホンはしたままで、近くに相方がいるのかもわからなかった。
この待ちが、とにかく長かった。体感で五時間くらい待ってた。途中一回寝て、やがてトントンと誰かに叩かれ、ヘッドホン・アイマスクを外して下さいと言われ外すと、カメラを担いだ人と太ったオジサンがいて「やりますか?やりませんか?」と訊かれた。意味がわからず横を見ると相方がいて、ふたりとも混乱しているとまた「やりますか?やりませんか?」と訊かれ「やります」と言うと、太ったオジサンは満足気な顔をして部屋から出ていった。

 

その昔、第2日本テレビというものがあった。インターネット番組で、今でいうところのAbemaTVみたいな感じ。
そして、さらに昔。たまごっちという玩具があった。小さい携帯出来るゲーム機で、たまごから孵る生き物にエサをあげたり構ったりして育てるというゲームだった。
それにインスパイアされて『お笑いっち』という企画が第2日本テレビで持ち上がった。

現代の若者は知らない人もいるかもしれないけれど、電波少年という超人気番組があってTプロデューサーの「やりますか?やりませんか?」は有名な決め台詞だった。
そのTプロデューサーが仕切っていたのが第2日本テレビです。
お笑いっちはそんな電波少年の系譜をついだ企画だったのです。


何をするかと言うと、1日に三回30秒程のショートコントを配信。それを見ていた人が面白かったら○、つまらなかったら×と投票して○が多かったらご飯が食べれる、というものだった。ちなみにどうやったら部屋から出られるか、いつ部屋から出られるかは説明なし。

スタッフさんがその説明を終えると、太田プロのマネージャーさんが入ってきて、連絡しといた方がいい人教えてくれと言われた。急に連絡がとれなくて捜索願いとか出されないようにする為だ。家族とかバイト先とか。僕は当時付き合っていた彼女の大学のレポートを煙草1カートンの報酬で書いている途中で、このレポートを彼女に渡してくれと依頼。相方はまだ見ていないレンタルDVDが部屋にあるので返しておいて欲しいと依頼。

斯くして僕らのお笑いっちがはじまった。
部屋は六畳ほどの広さで、窓があると思われる面には壁が設置されていて外は見えない。さらにドアの取手が外されていてコチラからは開けられない。ちゃぶ台の上には時計とノートとシャーペン。押し入れには寝袋がふたつとカーペットを掃除するコロコロが入っていた。それだけの空間である。頻繁に救急車のサイレンが建物の下の方から聞こえてきて怖かった。

 

僕は何が辛かったって煙草を吸えないのが辛かった。当時僕はヘビースモーカーですから、煙草を吸えないと何をする気にもなれないし、ネタを考えようにも煙草の事しか考えられなかった。毎日、日記をつけることを義務付けられていたんだけど、最初の2週間くらい煙草の事しか書いてないと思う。

幸い、1日何にも食べれないなんて事はあまりなくて、何となく食べたり負けたりを繰り返していた。どうやったら出れるのかわからなかったので、自分達なりに予想をたてる。連勝しまくれば出れるんじゃないか?と。毎回○の数と×の数のデータをとり、見ている人の嗜好性だとか、朝、昼、夜、曜日によっての変動などを見て作戦をたてていった。ある時5連勝して、もしかしたら出れるかも?と思っていたら、次の回が票を操作したとしか思えない程に×の数が多く、6連勝したら部屋から出れるのかもしれないと思う。


しかし、そこから負け続けてしばらくご飯が食べれなくなる。1日半くらい食べれなかった。部屋にはポカリが置いてあって、腹が減り、それをガブ飲みしてたら怒られた。あまり飲んではいけないのだ。隣の部屋にスタッフさんが常駐しており、微かに聞こえてきた「ポカリ飲ませときゃ死にゃしないから」という台詞に僕は、今でも絶大なる信頼を寄せている。今まで数々の人を拉致監禁してきたスタッフが言ってるんだからそうなんだろうと思う。僕は風邪を引いたらとにかくポカリを飲んでひたすら寝るという療法を今でもとっている。


さ、負けがこんでくるとお腹も減るし、苛々するものである。
この生活の中での楽しみといえば、まず食事である。次に部屋の掃除。コロコロしか娯楽品がないので部屋のカーペットをコロコロして楽しむしかないのである。掃除道具が娯楽品て。
そして1日一回の入浴である。


いつも僕が先に入っていたのだけど、その日は眠くて出てきたら起こしてと言って僕は寝た。肩を叩かれて起きると、あ、ハイハイ出たのねと思って時計を見ると2時間経っていた。え!?何で?お前何やってたの?と聞くと、負けがこんできたから気合いをいれて剃ってきた!と言う。確かに日本には反省したり、気合いを入れたりする時に丸坊主にするという文化がある。なので気合いを入れる為に剃ってきた!というのだ。しかし相方は坊主になっていない。勢いよくズボンを脱ぐと、ツルッつるのパイパンになっていた。陰毛を全て剃ってきたのだ。何だコイツぅと戦慄したものです。しかもカミソリ負けしてところどころ血が出てる。心配していた通り、とうとうパアになってしまった。

僕は寝つきが悪く、中々寝れない日々が続いていたのだけれど、寝ようとなって30分後くらいに、相方が僕にバレないように泣いている。なんて事が何回かあった。怖かった。指摘できない感じの泣き方をしていて、正直これが僕はこの生活の中で一番辛かった。

そんな心境を経て、相方がパイパンにしてしまった。以降、定期的にパイパンにしてるそうです。清潔にするとこもっとあるだろ!とは思う。どこ清潔にしてんだよ!とは思う。しかし、これが彼の気合いの入れ方なんだろう。


パイパンにしてからというもの、まあ負けたり勝ったりを繰り返しつつ、連勝をしても中々6連勝に到達出来ない。
ある晩のこと。無事勝利して、ご飯が食べれると思ったらアイマスクとヘッドホンを渡されて移動してもらいます、と言われた。

後で聞いたところによると、6連勝(丸2日ご飯が3食食べれる)か、入室1ヶ月後に行われる出していいか出さないでいいかの○、×の審査で○だと出れるとのこと。


僕らは6連勝出来なくて後者だった。深夜に放出され、ご褒美に高級中華料理に連れていってもらった。フカヒレなんぞ出てきた。Tプロデューサーがお茶を飲んでいたけど、偉い人なのに、ずっと口の端からこぼしていて狂人具合がエグかった。
1ヶ月ぶりに吸う煙草はえらく不味く、このまま禁煙してもいいかもな、と思ったら30分後には普通に吸ってた。

そろそろ宴もたけなわ、という時にTプロデューサーが「今回の企画、何%の力でやった?」と言うので僕らは「もちろん100%でやりました!」と言った。心の中では、100%と答えると違うと言われて何か有難い言葉を言うんだろうな、と冷めた自分がいて、120%の力でやれとか言うんだろうな、とか思っていた。なので元気よく「100%でやりました!」と言ったのだ。しかしこのあともらった言葉を僕はずっと大事にしているし、今後も大事にしていくと思う。
Tプロデューサーは「それじゃあ、駄目なんだよな。103%の力でやって、はじめて3%だけ人に伝わるんだよなあ」と独り言のように言ったのだ。

人に伝えるというのはそれくらい心血を注いで取り組まなければいけないことなのだ。めちゃくちゃ為になったし、当時22か3だった僕らはようやく「やさしい雨」をスタート出来たと思う。

そんな有難い気持ちになっていたのに帰り際マネージャーに「彼女ブスだねえ」と言われた。やりかけのレポートを渡しに連絡をとり彼女に渡す時に顔を見たのでそう言ってきたのだ。このマネージャーは結構前にもう辞めちゃってて綺麗な人だったから反論も出来なかった。
朝方家に帰って、1ヶ月ぶりにテレビを見ると何と!ホリエモンが捕まっていた!!ええッッ!と滅茶苦茶驚いてすぐ相方に電話かけると「俺も今電話かけようと思っていた!」というくらい驚いていた。


これが一番辛かった仕事ですね。まあ、もっと辛かった仕事はありそうだけど、これがちゃんとした最初の仕事だったから今でも魂に刻まれてるんでしょうね。
ちなみに、このお笑いっちでやさしい雨のあとに部屋に入ったのが、ゴールドラッシュで、その時にはじめてあって今も仲良くしてもらってるんで、他事務所のパイセンでは一番付き合い長いんじゃないだろうか。

 

次回は一番スベった時の話。

この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ

↑この台詞は、昔観た『リップヴァンウィンクルの花嫁』という映画の中で出てきた台詞なんだけど、なんかこの台詞だけ凄い覚えてて、調べたらその台詞が丸っとあったからコピペ。

 


『わたしね、コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき、お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれるときにさ、わたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ、わたしなんかのために。御菓子や御惣菜なんかを袋につめてくれてるわけ。それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる。わたしには幸せの限界があるの。誰よりも早く限界がくる。ありんこよりも早く。だってこの世界はさ、幸せだらけなんだよ。みんながよくしてくれるんだ。宅配便のおやじは私がここって言ったところまで運んでくれるし。こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから。だからせめておカネ払って買うのが楽。おカネってそのためにあるんだよ。人の真心ややさしさがはっきり見えたら、ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ。だからそれをおカネに置き換えて見なかったことにするんだ。だからこの世界は本当はやさしいんだよ』

 

いや、改めて凄まじい台詞だな。そうそうこれこれ。台詞も凄かったんだけど、これ言ってる時のCoccoが凄まじくて、もともと岩井俊二だし主演が黒木華だったり綾野剛が出てるから観に行った映画なのに、この台詞ばっか覚えてる。

 

こんなことを思い出したのは、つくづくそう思ったからです。
結構前から辞めるよって言ってたんだけど、やっぱ波及力が凄いからナタリーさんがやさしい雨解散だってさ、と言うと色んな人から連絡がきた。先輩だとか後輩だとか、色んな言葉をくれて有難いですよ本当に。お笑いの人だけじゃなくて、昔の同級生だとか、昔お付き合いしてた女の子だとか、文通していた人だとか。そうそう、俺会ったことない人と文通してたんですよ。文通楽しかったな。その人なんと現在妊娠しているという報告があり、凄くハッピーな報告でこちらまで幸せな気持ちになりましたね。さらに、うちの会社で働いてみますか?と連絡をくれる人がいて、少しDMでやりとりしました。
あのね、僕なんかにね、こんな幸せなことが起こっていいんでしょうか。本当にこの世界はやさしいとつくづく思い知らされる日々です。あと最近、おならをすると結構うんこも出ちゃって困ってますね。4月は二回うんこ漏らしました。未遂も含めたら三回ですね。なので軽軽におならが出来なくて困ってます。水を飲み過ぎてるのか。

 

関係ないけど、子供の頃にかかっといた方がいい病気あるじゃないですか、おたふく風邪?とかそういうの。いくつかありますよね?俺、それ等ひとつもやってないんすよね。注射打ったから大丈夫なのかなあ?ふと不安に。インフルエンザにもなったことないんですよね。だから不安ですよ。なんかコロナかかったら味がなくなるって言いますけど、子供の頃に風邪引いて味がなくなったことは二回程ありますね。あれ辛いんだよなあ。もうマジでびっくりするくらい味ないですからね。醤油とか色ついた水ですからね。あんな色の水なんてもう泥水ですから味がしなかったら到底口に入れていいものだとは思えない感じになりますよ。運動もしてたのに骨を折ったこともないし、入院するようなケガもしたことないですね。車にはねられても自転車が壊れただけだった。そう考えると健康に生んでくれた親に感謝ですよ。お腹はゆるいけど。だから4月二回もうんこ漏らしたんだけど。まじ嫌なんだけど。

やさしい雨で好きなネタ

数少ないんですがやさしい雨にもファンがいて、大変有難いことなんですが、湿っぽく終わるのは最悪なんで、予め湿らしといて最後は乾いてカラカラだい!みたいな状態にする為、ちょっとしばらくこのブログでちょいちょいやさしい雨の話でもしていこうかと思います。

は?何言ってんのコイツと思っていただけたなら既に成功です。


今まで沢山やさしい雨のネタを作ってきた訳ですが、今日は自分が好きだったネタの話をしたいと思います。
自分が好きだからって必ずウケる訳じゃないのはお笑いやってる人は皆そうかもしれないけど、やさしい雨の場合は結構そのズレが酷くて、ふたりとも面白いと思ってるものが全然評価されなくてライブでもあんまりウケなかったり、かと思ったらメチャクチャウケたり。逆に、ま、とりあえずこんなんもありますけどー、と予備で持ってったネタがテレビのオーディションに受かったりしたことが何度もあった。

なので、ふたりともに面白いと思っているものはあんまり信用しないことにしてるんだけど、僕にはそんな感じの好きなネタが2つあって、ひとつが『拝啓、宮沢賢治さま』というネタだ。


松崎がサラリーマン役で主張先でマッサージ屋に入る。そこは宮沢賢治の「注文の多い料理店」さながらに注文の多いマッサージ店だった。という内容なんだけど、これはその時期やさしい雨が好んで作っていた『AVシリーズ』のひとつで、マッサージもののパロディです。
マッサージもののAVが何なのか説明はいちいちしませんが、気になる方は検索してみて下さい。
マッサージ師である吉本が松崎の局部を徐々に責めはじめて、違和感に気付いた松崎が反論するも「リンパの流れがね」とか「みんなやってるんですよ」とか「こちらからは見えてないんでね」などと取り合ってくれない。ぴちぴちの服着させられたり、タオルが異常に小さかったり、観葉植物の間にカメラが設置してあったりして、徐々にエスカレートしていって我慢できなくなった松崎が完全に拒絶すると吉本が宮沢賢治注文の多い料理店の話をはじめる。世にも奇妙な物語みたいな展開になっていって
松「マッサージしていたのは肉を柔らかくするため…塩をもみこんでいたのは下味をつけるため…ま、まさか!」
吉「そう、お前を食べるためだよおおお!!」
松「うわああ!!」
吉「エッチな意味でねッ」
松「単なるゲイじゃねーか」
というオチ。このネタが出来た時は下らなくて書いてて笑ったもんですよ。このマッサージ師やってるときはSEXYな低音ボイスなんですが、これは俳優の進藤学さんの真似です。当時一緒に劇やってたんでどうにかパクれないかなと、このネタではじめてやったような気がします。これ以降、色んなネタでちょくちょくSEXYな低音ボイスが登場するようになりますね。
このネタは今はなき関東のローカルな賞レース『ハーベスト大賞』ではじめて決勝の決勝に残った時にやろうと思っていたネタなんですが台本提出でNGくらってすげえ拗ねました。これやってたら優勝出来たんじゃ…とか思ってましたからね。確かその年はトンツカタンが優勝しました。次の年がパーパーで、その次がハナコが優勝したんですけど、その時も決勝の決勝残ってたんですけど圧倒的にハナコでしたねその年は。そのままキングオブコントも優勝したけど、同じネタやってないですからね。凄い。そういえばその年、何かのライブの楽屋で今年は誰がキングオブコント優勝するか?という話をした時やさしい雨のふたりだけ「ハナコ」って言ってたのに他の芸人に鼻で笑われましたからね。アイツら見る目ねえぜ。その年のハーベスト大賞は他に四千頭身とか卯月(ザ・マミィの前身)とかかが屋とかいて、いや俺らオジサンなのに頑張った方だよ。負けたから仕方ないけど誰も誉めてくれなかったな。
話がそれましたが、そんな賞レースでやりたかったのに出来なかったネタという経緯からキングオブコントの準決勝でやったんですが、結果は普通。いちかばちかみたいなネタで普通のウケって、そりゃもう恥ずかしかったですよ。今思えば通る訳ないんですが、当時はこれで行くっきゃないっしょ!とかふたりとも思っていましたね。

 


もうひとつの好きなネタは、ちょっとタイトル忘れてしまったんですが、マタニティスクールの話ですね。これ単独でしかやってなくて、その調整で他所のライブで何度かやったくらいですね。好きなら何回もライブでやりゃいいじゃん!あとタイトル忘れるって本当はそんなに好きじゃないんじゃないの?と思うかもしれませんが、理由があって、何故ならメチャクチャ長いから。10分以上ある。そうすると他所のライブで出来ないので結果封印した形に。どんなに努力しても6分くらいにしかならなかった。

内容は、パパになるための心構えみたいのを学ぶ為にマタニティスクールに旦那さんがやってくるんですけど、そこの講師が最初は凄く優しいんですけど徐々にサイコだったりDV夫みたいな片鱗が見えはじめて旦那さんが言いなりになっていって最終的にペンギンになっちゃうというネタですね。

このネタは本当に好きでしたねえ。単独ライブでは凄くウケたんですけど、他所では引かれっぱなしで終わりみたいな感じでした。怖かったんでしょうね。だとしたらある意味あのネタとしては成功なんですけど。


次は一番辛かった仕事の話。