煙草をあげた思い出

何か急に思い出したことがあって、僕が二十歳くらいの頃、髪の毛を自分でアッシュグレーに染めて失敗して苔みたいな色になってた頃に、新宿の中央公園の広場に面した階段に座って煙草を吸っていると、ツンと路上生活者特有のアンモニア臭が鼻をついた。見やるとロジョーのおっちゃんが近寄ってきて「もし宜しければ一本。頂けませんか」と言ってきた。
なんか見た目の感じだと「アヒアヒフヒヒ。あんちゃん、あんちゃんってばあレロレロレロ。あんのーチュパ、あんのーチュパチュパ煙草 。煙草やね。煙草一本くりーやヒヒあんじょう頼んまっせ(口臭モワ~ン)」みたいな喋り方をしそうだったのに、えらく丁寧で物腰も柔らかく低姿勢だったので、僕がいいですよと一本あげると「ありがとう御座います」と言いながら睡眠薬を1錠くれて去っていった。煙草一本より睡眠薬1錠の方が高くつきそうだけど。何だったんだろう。まあ、それ以降同じ時間・場所で煙草を吸っていてもそのおっちゃんは現れなかった。


僕はこのように、煙草一本ちょうだいと言われると友人、知人はもちろん得体の知れない人でも結構すぐあげちゃっていた。
なぜなら煙草を吸えない苦しみを知っているからだ。金がなくて飯が食えなくても牛丼よりも煙草を選択していた。まあ、当時はまだ煙草が安かったというのもあるだろうけど。


時は経ち、深夜にコンビニエンスなストアでアルバイトをしていて朝方、店の前で煙草を吸っていた。その店舗前の道路は四車線あるけど、深夜や朝方は人も車も通らないような通りだった。
ある朝、煙草を吸っていたら鳩が物欲しそうに一羽僕の前を首をふりふり歩いていた。彼は、彼女かもしれないけど、どこか怪我でもしてるのか不様な感じでピョコピョコ歩いていて痩せていたし、何だか僕は心がぎゅうとなって、廃棄になったパンを千切ってあげると大変喜んでくれた。次のシフトの朝方にもその鳩はきて、パンくずをいそいで食べるその様が可愛くて毎回パンを千切ってあげていた。すると口コミなのか、みるみる鳩の数は増えていき30羽くらい集まるようになって、中にはパンじゃなくて雌の鳩狙いの雄とかもいて、鳩の社交場みたいになってきた。
諸事情から今では鳩を見かけたらお湯をぶっかけないと気がすまない程憎んでいる僕だけど(詳しくは2019年3月19日更新分の『鳩戦争2019~春の陣~』をどうぞ)昔は鳩が好きだった。鳩も個体によって全然性格が違くて、そのうち何羽か常連は見分けられる様になってきた。徐々に雀も集まってきて、鳩が雀にパンくずを与えないように追いかけ回したりして意地悪するんだけど、雀の方が素早くて大体雀はパンくずをGET出来ていた。そのうち鴉まで来るようになって最盛期は鳩50羽、雀10羽、鴉20羽くらい集まってきてしまい、朝方その通りは鳥だらけ。鳥まみれ。みたいになってきて、鴉はGANGみたいなモンですから、通りのゴミ箱を漁り散らかしてスラム街のようになってしまい、僕はパンくずをあげるのをやめた。

パンくずをあげるのをやめても暫くは、朝方煙草を吸いに外に出ると、僕の姿を見た鳩達は寄ってきた。パンくずをくれない僕の前をバタバタと羽ばたいたりして催促が凄かったけど、僕はあげたい気持ちを押さえて鹿十して過ごした。

すると徐々にいなくなり、完全に来なくなると少し寂しい気持ちになったけど仕方ない。
ある朝方、雨が降っていたし寒かったので、多分11月とかだったと思う。

店の前で煙草を吸っていると車も人も歩いていない通りを傘もささずトボトボと歩く作業着姿のおっちゃんがいた。手には鬼ころしのパックを持っていた。
雨がまあまあ降っているのに、そのおっちゃんは10メートルを1分くらいかけてトボトボと進み、大層疲れている感じだった。

僕はいつもなら2本吸ったら真面目に仕事に戻るんだけど、そのおっちゃんから目が離せず3本目に火をつけた。
トボトボと歩き、ようやく僕の目の前を通りすぎる時に目が合った。おっちゃんは充血しきった真っ赤な目で睨んできた。あんなトボトボ歩いていた男の眼光ではなかった。傷を負った獣さながらの眼光の鋭さだった。僕は何だか心がぎゅうとなり気づいたら「一本吸います?」と声をかけていた。
おっちゃんは、急に幼くなったような顔になって、多分それがびっくりした顔なんだろう。え?いいの?と言って、店の前の少し屋根のあるところで雨宿りしながら一緒に煙草を吸った。
僕が「こんな雨の中どうしたんですか?」と聞くと、おっちゃんは暫く黙ったあと「仕事が上手くいかなくて」と言った。また少し黙って煙草を吸ったあと「信頼していた仲間に裏切られた」と付け足した。
これは相当ヘビーな状況なのかもしれない。おっちゃんはそれ以降「もう駄目だ。終わった」みたいなことをぶつぶつ言いながら煙草を吸っていた。煙草を持つ手が寒さからなのか、絶望からなのか震えていた。俺は黙って煙草を吸っていた。おっちゃんはやがて煙草を吸い終わり、短く礼を言って立ち去ろうとしたので僕は「僕には、どれくらい辛いか分からないから無責任なこと言いますけど、あと一回だけ頑張ってみません?」と言った。
「は?」
「いや、もう限界なのかもしれないけど、その限界のとこからあと一歩だけ行ってみませんか?どうせ終りならあと一歩だけ。良くなるかもしれないし。良くならなかったら、まあ、それでいいじゃないですか」


ひとつ言っておくけど、盛ってません。俺はこんなドラマチックな台詞を吐いた。するとおっちゃんは顔をくしゃくしゃにしてわんわん泣きはじめて、ありがとう、ありがとう、兄ちゃんいいこと言うな。と、もうボロッボロに泣いて、ずぶ濡れの作業着だしボロ雑巾のような姿だった。僕は心がぎゅうとなって少し待ってて下さいといい店内に戻ると、廃棄であった焼きそばパンを掴み「これ、もし良かったらどうぞ」と手渡すと、おっちゃんはまた一瞬顔が幼くなった後「俺ルンペンじゃねえからッッ!」と凄い剣幕で帰っていった。雨脚は一層強くなり、全然やさしい雨じゃなかった。


俺はいつの間にかおっちゃんを鳩と同じ扱いしていた。ごめんおっちゃん。

あのおっちゃん元気かな。