やさしい雨で一番辛かった仕事

きっと、其れよりも辛かった仕事はあるんだろうけど、はじめてちゃんとした仕事だったから記憶に残っていて、それが一番辛かったと感じるんだと思います。
やさしい雨で一番辛かった仕事は『拉致監禁される』という仕事です。

 

ある日、事務所からCMのオーディションがあると言われ、太田プロの事務所は四谷三丁目にあるんですが、オーディション会場は四ツ谷なので歩いて行けるよと言われ事務所で地図をもらいふたりで歩きはじめました。なんのCMのオーディションだろうねと話ながら、四ツ谷三丁目と四ツ谷の丁度真ん中辺りまで来たところで、歩道の脇にあったゴミ箱からボガッと音がしてビックリしていると、黒ずくめの男達が数人現れ僕らを捕まえようとしてきた。
こういう時って人によって全然反応違うんですよね。松崎は驚きで固まって動けなかった。僕は男達が近づいてくるので走って逃げました。横目で松崎が捕らわれるのを見つつ全力疾走。体力には自信があった頃なので、男を振り切って逃げる事に成功。
逃げ切って少し落ち着くと、黒い男達はショッカーの格好をしてたなと思い、あ、これドッキリかなんかかな?と思って現場に戻ると、ちょ、どうする?みたいな空気になっていたショッカー達に捕まり、車に乗せられてアイマスクとヘッドホンをつけられた。ヘッドホンからは大音量でヘビメタが流れていて怖かった。体感時間で一時間くらい移動して降車。ヘッドホンをくいっとあげられて、前の人の肩を掴んで移動してと言われなすがまま移動。結構歩いた。ふかふかのカーペットの部屋に到着したのが何となく分かり、ここでしばらく待っていて下さいと言われた。アイマスクとヘッドホンはしたままで、近くに相方がいるのかもわからなかった。
この待ちが、とにかく長かった。体感で五時間くらい待ってた。途中一回寝て、やがてトントンと誰かに叩かれ、ヘッドホン・アイマスクを外して下さいと言われ外すと、カメラを担いだ人と太ったオジサンがいて「やりますか?やりませんか?」と訊かれた。意味がわからず横を見ると相方がいて、ふたりとも混乱しているとまた「やりますか?やりませんか?」と訊かれ「やります」と言うと、太ったオジサンは満足気な顔をして部屋から出ていった。

 

その昔、第2日本テレビというものがあった。インターネット番組で、今でいうところのAbemaTVみたいな感じ。
そして、さらに昔。たまごっちという玩具があった。小さい携帯出来るゲーム機で、たまごから孵る生き物にエサをあげたり構ったりして育てるというゲームだった。
それにインスパイアされて『お笑いっち』という企画が第2日本テレビで持ち上がった。

現代の若者は知らない人もいるかもしれないけれど、電波少年という超人気番組があってTプロデューサーの「やりますか?やりませんか?」は有名な決め台詞だった。
そのTプロデューサーが仕切っていたのが第2日本テレビです。
お笑いっちはそんな電波少年の系譜をついだ企画だったのです。


何をするかと言うと、1日に三回30秒程のショートコントを配信。それを見ていた人が面白かったら○、つまらなかったら×と投票して○が多かったらご飯が食べれる、というものだった。ちなみにどうやったら部屋から出られるか、いつ部屋から出られるかは説明なし。

スタッフさんがその説明を終えると、太田プロのマネージャーさんが入ってきて、連絡しといた方がいい人教えてくれと言われた。急に連絡がとれなくて捜索願いとか出されないようにする為だ。家族とかバイト先とか。僕は当時付き合っていた彼女の大学のレポートを煙草1カートンの報酬で書いている途中で、このレポートを彼女に渡してくれと依頼。相方はまだ見ていないレンタルDVDが部屋にあるので返しておいて欲しいと依頼。

斯くして僕らのお笑いっちがはじまった。
部屋は六畳ほどの広さで、窓があると思われる面には壁が設置されていて外は見えない。さらにドアの取手が外されていてコチラからは開けられない。ちゃぶ台の上には時計とノートとシャーペン。押し入れには寝袋がふたつとカーペットを掃除するコロコロが入っていた。それだけの空間である。頻繁に救急車のサイレンが建物の下の方から聞こえてきて怖かった。

 

僕は何が辛かったって煙草を吸えないのが辛かった。当時僕はヘビースモーカーですから、煙草を吸えないと何をする気にもなれないし、ネタを考えようにも煙草の事しか考えられなかった。毎日、日記をつけることを義務付けられていたんだけど、最初の2週間くらい煙草の事しか書いてないと思う。

幸い、1日何にも食べれないなんて事はあまりなくて、何となく食べたり負けたりを繰り返していた。どうやったら出れるのかわからなかったので、自分達なりに予想をたてる。連勝しまくれば出れるんじゃないか?と。毎回○の数と×の数のデータをとり、見ている人の嗜好性だとか、朝、昼、夜、曜日によっての変動などを見て作戦をたてていった。ある時5連勝して、もしかしたら出れるかも?と思っていたら、次の回が票を操作したとしか思えない程に×の数が多く、6連勝したら部屋から出れるのかもしれないと思う。


しかし、そこから負け続けてしばらくご飯が食べれなくなる。1日半くらい食べれなかった。部屋にはポカリが置いてあって、腹が減り、それをガブ飲みしてたら怒られた。あまり飲んではいけないのだ。隣の部屋にスタッフさんが常駐しており、微かに聞こえてきた「ポカリ飲ませときゃ死にゃしないから」という台詞に僕は、今でも絶大なる信頼を寄せている。今まで数々の人を拉致監禁してきたスタッフが言ってるんだからそうなんだろうと思う。僕は風邪を引いたらとにかくポカリを飲んでひたすら寝るという療法を今でもとっている。


さ、負けがこんでくるとお腹も減るし、苛々するものである。
この生活の中での楽しみといえば、まず食事である。次に部屋の掃除。コロコロしか娯楽品がないので部屋のカーペットをコロコロして楽しむしかないのである。掃除道具が娯楽品て。
そして1日一回の入浴である。


いつも僕が先に入っていたのだけど、その日は眠くて出てきたら起こしてと言って僕は寝た。肩を叩かれて起きると、あ、ハイハイ出たのねと思って時計を見ると2時間経っていた。え!?何で?お前何やってたの?と聞くと、負けがこんできたから気合いをいれて剃ってきた!と言う。確かに日本には反省したり、気合いを入れたりする時に丸坊主にするという文化がある。なので気合いを入れる為に剃ってきた!というのだ。しかし相方は坊主になっていない。勢いよくズボンを脱ぐと、ツルッつるのパイパンになっていた。陰毛を全て剃ってきたのだ。何だコイツぅと戦慄したものです。しかもカミソリ負けしてところどころ血が出てる。心配していた通り、とうとうパアになってしまった。

僕は寝つきが悪く、中々寝れない日々が続いていたのだけれど、寝ようとなって30分後くらいに、相方が僕にバレないように泣いている。なんて事が何回かあった。怖かった。指摘できない感じの泣き方をしていて、正直これが僕はこの生活の中で一番辛かった。

そんな心境を経て、相方がパイパンにしてしまった。以降、定期的にパイパンにしてるそうです。清潔にするとこもっとあるだろ!とは思う。どこ清潔にしてんだよ!とは思う。しかし、これが彼の気合いの入れ方なんだろう。


パイパンにしてからというもの、まあ負けたり勝ったりを繰り返しつつ、連勝をしても中々6連勝に到達出来ない。
ある晩のこと。無事勝利して、ご飯が食べれると思ったらアイマスクとヘッドホンを渡されて移動してもらいます、と言われた。

後で聞いたところによると、6連勝(丸2日ご飯が3食食べれる)か、入室1ヶ月後に行われる出していいか出さないでいいかの○、×の審査で○だと出れるとのこと。


僕らは6連勝出来なくて後者だった。深夜に放出され、ご褒美に高級中華料理に連れていってもらった。フカヒレなんぞ出てきた。Tプロデューサーがお茶を飲んでいたけど、偉い人なのに、ずっと口の端からこぼしていて狂人具合がエグかった。
1ヶ月ぶりに吸う煙草はえらく不味く、このまま禁煙してもいいかもな、と思ったら30分後には普通に吸ってた。

そろそろ宴もたけなわ、という時にTプロデューサーが「今回の企画、何%の力でやった?」と言うので僕らは「もちろん100%でやりました!」と言った。心の中では、100%と答えると違うと言われて何か有難い言葉を言うんだろうな、と冷めた自分がいて、120%の力でやれとか言うんだろうな、とか思っていた。なので元気よく「100%でやりました!」と言ったのだ。しかしこのあともらった言葉を僕はずっと大事にしているし、今後も大事にしていくと思う。
Tプロデューサーは「それじゃあ、駄目なんだよな。103%の力でやって、はじめて3%だけ人に伝わるんだよなあ」と独り言のように言ったのだ。

人に伝えるというのはそれくらい心血を注いで取り組まなければいけないことなのだ。めちゃくちゃ為になったし、当時22か3だった僕らはようやく「やさしい雨」をスタート出来たと思う。

そんな有難い気持ちになっていたのに帰り際マネージャーに「彼女ブスだねえ」と言われた。やりかけのレポートを渡しに連絡をとり彼女に渡す時に顔を見たのでそう言ってきたのだ。このマネージャーは結構前にもう辞めちゃってて綺麗な人だったから反論も出来なかった。
朝方家に帰って、1ヶ月ぶりにテレビを見ると何と!ホリエモンが捕まっていた!!ええッッ!と滅茶苦茶驚いてすぐ相方に電話かけると「俺も今電話かけようと思っていた!」というくらい驚いていた。


これが一番辛かった仕事ですね。まあ、もっと辛かった仕事はありそうだけど、これがちゃんとした最初の仕事だったから今でも魂に刻まれてるんでしょうね。
ちなみに、このお笑いっちでやさしい雨のあとに部屋に入ったのが、ゴールドラッシュで、その時にはじめてあって今も仲良くしてもらってるんで、他事務所のパイセンでは一番付き合い長いんじゃないだろうか。

 

次回は一番スベった時の話。