なぜ買わなかったのか。

少し前に、前といっても半月ほど前だけど何だか洒落てるお花屋さんの前を通ると、これまたお洒落な鉢植えがdisplayされていて、それは桜の鉢植えなんだけど、4000円だった。
僕は足を止め暫くその鉢植えを見ていた。財布の中には弐萬圓入っていた。

 


まず根底に僕は観葉植物を何か買いたい、買いたいというと変な感じですね、飼いたいと思っていた。飼いたいというのも違和感はあるけど生物なのでオカシクはないでしょう。
そう、常日頃僕は観葉植物を欲していた。僕の家にはなくて、観葉植物なんてものはこうヒーリングといいますか、精神を正常に働かせる効果があるというか、そういう効果がこれは絶大にある。幼少の頃から家庭では当たり前のように観葉植物があり、僕も過去に飼育していたことがある。サボテンも花を咲かした。
あと、ある研究では植物には意思があるというものもあり、殺害現場にあった植物に犯人を面通ししたら反応があったというデータまで残っている。
なので頭狂という頭の狂った人がひとりやふたりではない殺伐としたこの地で、ひとり暮らしをしていたらいつ殺害されるかわからないので、そういう観点からも観葉植物を欲していた。

 


そこにきた桜の木の鉢植えが4000円で売っている機会である。こんなものは即買いである。しかも財布には札、弐萬圓也が入っているのだ。

桜の鉢植えがひとり暮らしの男の部屋にあったらどうだろうか?うん。言わずもがなお洒落である。ワンランク上の男である。
しかし、この場合ちょっと格好つけすぎている感もある。この格好つけずぎというところが問題なのであって、格好つけているのを相手に悟られない格好つけが一番格好いいのであって、格好つけてることが相手にバレてしまう格好つけは一番格好悪いのである。
そもそも僕は観葉植物を欲していたのであるから、丁度いい。心牽かれたならば即買いすればいいものの、え?桜?という。桜は格好つけすぎである。こと観葉植物にするならば。

こんなことを言うと、観葉植物を欲しているのならば別に格好つけすぎとか考えず買えばいいじゃんけ。とかいう人が顕現しそうですが、わかってない。もし桜の鉢植えなんぞ買ってしまったらこれはもう愛でる。飼育の本まで買って懇切丁寧に育て上げる。そんな姿は目に見えている。そうするとどうしても人に自慢したくなる。可愛い我が子をどうしても披露したくなるのが人の心と云うものです。なので、そこに至れば格好つけるつもりはなくても対外的には結局、格好つけすぎてしまうことになる。


じゃあ誰にも言わなきゃいいじゃん。なんて見も蓋もない畜生が如き輩が湧いてきそうですが、そうじゃない。マッタク判ってない。
よく、見えないお洒落に気を使えなんて言葉があり、下着にも気を使えみたいな風潮がありますが、結局見せる時の事をふまえながらの洒落なんで、見せるのである。なので桜の鉢植えだって結局見せる為の、魅せる為のものなのである。


つまり何が言いたいかというと、他人に見せない洒落に4000円かあ…ということである。いや、値段じゃないけどねッッ!この吝嗇がッッと罵るのはやめて欲しいですね早計というものです。


とにかく僕は、観葉植物を欲している訳で格好つけたい訳ではないので、どうせ観葉植物を飼育するなら春しか楽しめない桜より、SSAW楽しめるものを飼おうと思い、スッと財布を鞄に仕舞いその場を立ち去ったのです。