YJ文庫『駄目なひと#1』

  どんなに楽しいことだって終わりがあると、私はいつから知っていたんだろう。大好きだったアニメが最終回をむかえ次のクールにはまた新しいものがはじまり、当たり前に無中になり、そしてまた終わり、を繰り返した幼少期か。あんなに仲の良かった友達が隣の県に引っ越してからは一度も会わなくなった小学生の頃か。どんなに努力したつもりでも地区大会の一回戦で負け続けた中学三年間の部活動か。教育実習生に一目惚れして遊ばれた高校二年生の春だろうか。毎晩のように記憶がなくなるまでお酒を飲んで遊びまわった大学生時代か。いつからなのかは定かじゃないけど、いつの頃からかどんなことにだって終わりがあると知っていた。誰だって知っている事だけど、その最初を自覚している人は少ないんじゃないだろうか。

  洗面所で鏡の前にぼうと立ち歯を磨く男を見ながらそんなことを思った。今回は一カ月もたなかったな。そもそもは私の片想いから始まって、それなりの手順を踏み、時にアクロバティックな手法を用いて距離を縮め、無事お付き合いをすることになった筈なのに、こんなにも早急に興味を失うということは私に問題があるのかもしれない。けれど『女の子』と呼ばれている季節は人生に於いてとっても短く、故に、とっても価値があるので、惰性で興味のない男と付き合っている暇はないのです。私も男の横に立ち歯ブラシを咥える。歯を磨きながらこの男との終わりの始まりはなんだったのか考えてみた。まぁ、きっと一つの要素ではなくていくつかの要素が重なり合ってこうなっているんだろうけど、最初に思い出すのはツケマツゲで怒られたことだ。

  はじめてこの家にお泊りした日のこと。私は目が小ぶりな事がバレたくなくてメイクを落としたくなかったのだけど、すっぴんが見たいと事後この男にせがまれて、まだお付き合いをしてなかったし、従順な女であると、または純情な女であると思わせるため恥ずかしがりながらメイクを落とした。テーブルの上にツケマツゲを左右重ねて置くと「ゲジゲジみたいだね」と面白くもなんともないことを言ったので曖昧に笑っていると、ウケたと勘違いして「そんなの瞼につけてかぶれないの」だとか、装着時に「今、瞼の上でゲジゲジが動いたよ」などとスベリ続けた。しかし私が毎回曖昧に笑っているのでお気に入りの弄りになってしまった。お付き合いしだして間もない頃に男が眠っている時に枕もとにそのゲジゲジを置いておくというイタズラとも呼べないような可愛らしいイタズラをしかけると、目を覚ました男は心底驚いたのか、寝転がった姿勢のまま30㎝程浮いた。それだけでも人間にそんな常軌を逸した動きができるんだと面白かったのに、そんな派手なアクションをしているにも関わらずポーカーフェイスで、というよりは表情が乏しいだけかもしれないけれど整った顔つきはそのままで、そのアンバランスさが可笑しくって私は笑った。すると「笑うなブス」とピシャリと言われて私は一瞬言葉の意味が理解できずポカンとしたあと、曖昧に笑った。あの時に私は、なんて余裕のない人だと思い、ああこの人は攻撃しかできない人なんだなと理解した。

  男は歯を磨き終わるとおしっこをした。トイレから聞こえるじょぼじょぼという音でわかる。立ったままするので音が響く。ドアを開けて出てくると湿度の高い顔つきで、手を洗って欲しかったけどそんな願いも空しく男は私に触りはじめた。そもそもおしっこをしたのならそのイチモツもちゃんと洗ってからシテ欲しい。膀胱炎になったら治療費はだしてくれるのか。そんな事を考えているとはおくびにもださず、くすぐったいだけの下手くそな前戯に笑いをかみ殺していると、男はなぜか頭に乗って好きだねみたいな内容の酷く的外れなことをつぶやいた。

  24歳の私は特に幸せではなくかといって不幸でもなく、仕事に不満がある訳でも満足している訳でもなく、友達もいるし、男に不便もしていなくって、そういったどこにでもいる平凡な、だからこそ、満たされないというか、神さまみたいな凄く偉い存在に空の箱を渡されて「ずっと持ってなさい」と言われたような、いつまで持ってたらいいのだろうかというような所在のなさを常に感じていた。そういう焦りのような感情から何か楽しいことはないのかなと探して探して安易な恋に身を投じるけど、そう。どんなに楽しいことだって終わりがあると私は知っている。ただその終わりの間隔がどんどん短くなっているのが気がかりではあるのだけれど。
  とにかく私は、橘優雨は、冷めたような考えをぶっ飛ばすような楽しみを、終わりのない楽しみを心のどっかで待っていて、そのはじまりは到底誰にも気づけない、冴えない男との再会だった。