思ったりして。

僕の36年の人生を振り返ってみて、世界中で、外出をしちゃ駄目なんだよと正式な感じで政府に言われるなんてのは体験したことがない。多分世はそれくらい窮まってる訳でそういうことなら言われた通りちゃんと家にいた方がいい。


食材を買う為の外出は許されるのかな?すいません、食材を買う為に外出してしまいました。

 

なんですかね、関係ないかもしれないんですが、ほんと昔、何かのアンケートで「お笑いをはじめて一番良かったことは?」というのがあって僕は『周りの人がみんな面白い』と即答したんですね。
やっぱお笑いをやっているような人達ですから、普通に話してても面白いし考えてることも面白いし体験していることだとかやろうとしていることも面白かったり、自分の中にないことばっかりで、やっぱ駄目な人ばっかり頭いい人ばっかり愛が溢れてる人ばっかりですから、一緒にいるだけで何だか凄く楽しい気持ちになれるんですよね。

で、お笑いをやってきて気づいたのは、別にお笑いやってるから周りがみんな面白い訳じゃないんだなと気づけたことですかね。

お笑いをやってきたから身に付いた、もしくは気がついたことなんでしょうけど、誰でも面白い。はたまた何でも面白いんですよね。
なんか誰と話しててもその人は面白いし、何が起こっててもそれは面白いんですよ。もしくは自分が面白いと思えるように物事が見れるんですよね。

こんなこと分かってる人は普通に分かってることなんでしょうけど、僕はお笑いのお陰でわかりました。

なのでお笑いをやっていて一番良かったことは『何でも面白く感じれる』ことですかね。


これは昔から言ってるから僕の価値観を構成するひとつの要素なんでしょうけど「正しいことばっか言ってるの馬鹿みたい」って思うんですよね。
そりゃ勿論正しさは正義ですから良いことだし、何が正しいかは絶対に分かってないと、基準がないといけないんですけど正しいことなんて誰にでも言えますからね。それをちゃんと実行するのは難しいですけど、正しいことを言うのは誰でも出来るし正しいんだから、正しいことしか言えないと馬鹿になった様な感じがするし、正しいことしか言えない時点でその対象には負けてるんですよね。
別に勝ち負けじゃないんですけど、そんな白黒ついたら簡単だけど人も事も。でもどちらかしかない程世界は狭くないじゃないですか。幼いほど簡潔に物事を分別したくなりますから、子供の時分は仕方ないんですけど、そうじゃなかったんだなって人生を経験していく訳じゃないですか。


過去最高にふわっとした事をつらつらと書き連ねていますけど、このふわっとしたというこの事が、僕が言いたいことなんです。

 

昔はどんなことだって意味がないことなんてない!と思っていたんですが、今は、どんなことにも意味なんてなくてだからそれを楽しんでいこう!と思えるんですよ。やってることは同じなんですけど。

こういう事をお笑いは僕に教えてくれましたね。
人生のスキルとしてストックされたんだと思います。


何か真面目な話して馬鹿みたいだな。


外出自粛と共にカロリーという概念が消滅しているし、たッくさんのポテトサラダを大スプーンで食べながらカップ焼きそばマヨネーズ和え(むしろマヨネーズのカップ焼きそば添え)を食うという破廉恥行為を鶏のからあげと共にこんな時間にああ幸せッッ!みたいな事を今からしようかな。と、思ったりして。