あるべきかたち

物事があるべきかたちに収まるのが好きです。僕はよく言ってしまうんですけど、なんと言うかそうなるべくしてなるというか、それ以外は考えられないよねとか、そうならないとオカシイよね、という事って理屈を越えてあるような気がする。

まあそれは当然のように理屈なのかもしれないけど。


物語が顕著で、だから僕はよく物語を見た時に、あるべき形に収まっていないと嫌なんです。自分の物語としての嗜好は抜きにして、そのキャラがその境遇でその展開ならそうあるべきだろ、という物語じゃないと嫌なんです。

かといって、別にそれから外れていても、ああそうかなるほどそういう可能性もあったかと思えるようなものは好きですし、それが一番いいんですけど、それは中々ないような気がする。


よくある"お約束"に近いんだけど"お約束"という言葉を当て込むとこの感覚は何か違くて、バランスというか、例えばその形じゃバランスが崩壊していて物理法則的に自立出来ないよね?みたいなのが嫌いなのです。
これは自立する形が是というのが前提ですけど、その前提のもとに言った発言なのに、あるべきかたちを追うことを放棄しただけの者は、指摘されると、や、立ってりゃいいってもんじゃないからとかゴチャゴチャと言い訳をしたりする。や、立ってりゃいいってもんじゃないというのは良いんだけど、本当にそう思ってやっている奴は言い訳しないのに。


なんか抽象的なものを抽象的に説明してしまって申し訳ないんだけど、何が言いたいかサラッと言うと、僕も多分に漏れず毎日楽しみにしていた『100日後に死ぬワニ』は、物語があるべきかたちで終了して、凄く素晴らしいお話だったなあ等と思うんです。


これだけ支持を得た作品ですから、やはり人の理屈を越えて共有している『物事があるべきかたちに収まると気持ちいい』というのはみんなの中にあるんじゃないだろうか。