YJ文庫『駄目なひと#10』

「え、で、そのまましちゃったの?」と坦担味のカップスープに入った春雨をすすりながら新山さんが言った。私は休憩室でお昼を食べながら昨日の顛末を話していた。
「いや、してないです」
「ええ…」
「なんで引いてるんですか」
「よく我慢出来たね」
「我慢ていうか屋上ですからね。しかも知らない人のマンションの、屋上ですからね」
「だからいいんじゃん」
「わあ新山さんぽい発言」
「めちゃくちゃノリが悪い女だと思われたんじゃないそれ」
「んー。思われたと思います」
「え、そのまま帰ったの?ホテルとか、家とか」
「行きませんでした」
「うっわ、なにこの女。ないわー。腹立つわー」
「なんで男側の意見なんですか」
「向こうもよく引き下がったね」
「まあ、生理だと嘘つきましたから」
「ええ…」
「だから何で引いてるんですか」
「その言い訳だけはしないようにしてんのよ私。だってさ、んー、だってね、こっちが生理って言ってんのに引き下がらない男は私のこと大事にしてくれてない感じするから嫌だし、あっさり引き下がられても、そのテンションの下がりっぷりに、あ結局カラダ目的だったのねって思っちゃって嫌だし。どっちにしろ嫌な気分になるんだよね自分が。しかも嘘だし」
「あー、確かに。じゃあ新山さんだったらどうするんですか」
「まあ、そうだね。フェラしてあげる」
「何言ってんだよコイツ。職場でする話じゃねーよ」
「ツッコミだったら敬語使わなくていいルール採用してないから」
「すいません」
「つか、そんなベタな言い訳バレてると思うよ。結局ノリが悪い女だなっていう想いは変わらないけどね」
「いや別に、私するのに抵抗はないんですけど、何か今回のコレはしちゃったら次はないタイプのやつかなと思って」
「ああ」
「あ、次っていうのは」
「わかるわかる。関係性でしょ」
「そうです」
「んー。まあでも私なら記念にやっとくけどな」と豪快に笑ってカップスープを飲み干した。そしてジロッと部屋の隅を見て
「で、河野はどう思う?」
「ぶっ、ちょ、いやー、そのー、え、ヴんヴん。あ、あ、僕ですか。何が、何がですか」と急に話をフラれた河野くんが牛乳を少し吹きながらどもる。そう、休憩所には私と新山さんだけではなかったのだ。
「全然話聞いてなくて、すいません。何がですか」
「そんな訳ねーだろ。だから橘の判断どう思うって」
「そんなこと言われても僕聞いてないからあれなんですけど橘さんがそういう人だったのが驚きです」
「しっかり聞き耳たててんじゃねーか」
「驚きってなにが」
「あ、いや、その何ていうんですか、ビッチというか」
「ハハハハハ。いいぞ河野」
「ひどいー。何がビッチなの」
「だって、え、何か今までの会話聞いてたら、え、彼氏いるんですよね。駄目じゃないですか他の男と遊んだら」
「え?」
「え?」
「え!?僕が変なこと言ってるんですかこれ?」
「うん」
「うん」
「そっか。すいませんで否!言ってない!言ってないと思う!!しかも、しかもですよ、他にいい感じの男の人がいるんですか?」
「黒木屋の店長」
「え!?」
「ちょっと新山さん」
「マジすか!?橘さん糞ビッチじゃないですか」
「ハハハハハいいね河野いいね」
「橘さんゲテモノ喰いっすか?悪食っすか?黒木屋の店長って、あのローマの休日の真実の口みたいな人ですよね」
「ピンとこないけど悪口なのはわかる」
「なんか、なんかアレですよね、ズルいっすよね橘さん」
「ズルい?」
「なんか、全部自分が一番というか、自分がよけりゃいいっていうか、この話の中で一番可哀想なのは黒木屋の店長じゃないですか」
「なんで?松坂くんが?」
「はい。だってあんな見た目にハンディキャップかかえてる人が橘さんみたいな綺麗な人に相手してもらってたら有頂天というか、いや、もう付き合えるとか思ってますよきっと。それをね、それをですよ、何かサーっと横からsexyな男出てきて橘さんポーっとしちゃって、こんなのって、こんなのって、あんまりだああ」
「河野、熱どうした」
「何か共感することがあったんですかね過去に」
「ズルいっすねえズルいっすよねえ。だから女は信用出来ないっすよねえ」
「ハハハ、河野。分かってないねえ。ズルくていいんだよ。女の子はズルくていーのー」
「はあ?」
「男は馬鹿でいいの。馬鹿なままでいて女のズルさに気づかないか、気づいてないふりしてりゃいいのよ」
「なんすかそれ。ますますズルいじゃないですか」
「だから女はそのかわり、馬鹿な男を許すんだよ」
「何言ってるかわかんないっす」
「だから童貞なんだよ」
「酷い!セクハラつうかパワハラつうかモラハラつうか、何かしらハラスメントですコレ!」
河野くんは歓迎会で一皮剥けて、ずいぶんとぶっちゃけるようになった。まあ上司が泡を吹くくらい首を締めたらもう怖いものはないか。

 

  午後の業務が終わり更衣室で着替えてる時、里中がコソコソと話しかけてきた。
「橘さん、河野くんから聞いたんですけど林さんとどっかの屋上でしちゃったって本当ですか」
「いっやー、しちゃったっていうか、してはないっていうか、ええ、なになに」
「凄いですねえ!尊敬します」
「いやいや、そんなことよりそっちこそねえ、あの日ぷいっと消えちゃったじゃん、あのラガーマンみたいな人と」
「ああ、中軽米さん?」
「なかかるまい?あの人そんな変わった名字だったんだ」
「えー、あの人見かけ倒しでしたよー。なんか少し遊んだら女々しくて、女々しい男ほど身体鍛えてるっていうけど本当そうですよね」
「おお…」
「それよりか堪解由小路さんの方が丁寧だった」
「誰ソレ?何その名字。どんな漢字書くのそれ」
「あの目線が鋭い賢そうな人です」
「あの人そんな聞いたこともない名字だったんだ」
「でも私、林さんはいけなかったなー」
「そうなんだ」
「いやー、林さん先帰っちゃったじゃないですかあの日。あとでLINEのグループ作って連絡先交換しようと思ったら林さんだけ参加しなかったし」
「そうだね」
「で、私諦められなくてFacebookで探したんですよー」
「え、そうなの?」
「はい。普通に見つかりました。コメントしたのに連絡返ってこなくって。じゃあいいやーって」
「へ、へえ。相変わらずパワフルだね」
「いやー、橘さんには負けますよ。だって妻子持ちいっちゃうんだもん」
「へ?」
「凄いです。尊敬します」
「え?」