YJ文庫『駄目なひと#8』

  連休明けに旅行のお土産である韓国海苔を渡そうと松坂くんの働く黒木屋に飲みにいってから、仕事終わりに一杯飲んでから帰るようになり私はすっかり常連になってしまった。新山さんも松坂君を気に入って可愛がってくれた。5月末の休日には私と新山さんと松坂くん、それに松坂くんの友達である吉村くんの4人でイチゴ狩りにでかけるほどに仲が良くなっていた。


  6月。ここ数年、季節が暦とズレていると感じていたのだけれど今年はちゃんと梅雨入りし、本日も雨。温度も高くなってきて蒸し蒸しと湿気も凄く、前髪もくにゃりとしちゃったり不快な日が続いていた。めっきり会う回数を減らし月に2、3度しか会わないけれど一応私には彼氏がいて、相変わらずの的外れな言動に会う度心の距離は離れていった。そんな私の心境には全く気付かず「もっと会いたいな」とか甘えたような声を出すようになって、こういう時に仕事が忙しくてと言える社会人は便利だなとつくづく思う。
  私と松坂くんはハッキリ言って、タイ料理を食べに行った日が一番ふたりの距離は近かった。それから今まで何回か飲んだりしたけれどそういったモーションはかけてこなかった。しかしどんどん互いに気安くなっていっている。なんだか互いに、言い訳をするように『ただ楽しいだけの時間』を積み重ねている。それとも逆に言い訳をなくすためか。そんな風に感じる。

 

  女の子と呼ばれている季節は人生に於いてとっても短いのよ。これは母の口癖というか決まり文句だった。この言葉を恨めしそうに、吐き捨てるように私に投げつけたこともあれば、ひとりの女、人生の先輩として教えるように、諭すように手渡してくれたこともある。
  母は私を16歳で生んだ。私は実の父親というものをしらない。写真ですらみたことがない。私が物心ついたころにはとっくに離婚していて、母と祖父が取り返しのつかない喧嘩をするまで母の実家で暮らしていた。それから母と私が暮らした狭い1Kのアパートには月に何回か男の人がやってきた。毎回違う人だった。私はたくさんの男の人と遊んでもらった記憶がある。みんな結構優しくて虐待みたいなことはなかった。でも毎回違う男だった。2回目に突入する場合もあったけど極稀で、3回目4回目に到達できた人は片手で数えられるくらいだった。こんな風にいうと母が単なるあばずれに聞こえるけど決してそういう訳ではなくて、ずっとモテていた母は男を品定めしていた。その中でも私が一番懐いた且つ、経済力のあった運送会社を経営するずんぐりむっくりの禿げ上がった男と結婚した。私が10歳の時の話だった。中学生になり反抗期を迎えるとあんなに懐いていたのが嘘かのように毎日喧嘩になり、酷い言葉をたくさん言ってしまった。まあ喧嘩といっても私が一方的に理不尽な怒りをぶつけるだけなんだけど一度、何がきっかけでそこまでの大喧嘩になったのかは忘れてしまったけど、私は家出をした。定番の「本当の親じゃないのに父親面しないでよ」と言ったのに、優しく微笑むだけでその余裕の態度にますます腹がたって脛を思いっきり蹴飛ばして走って逃げた。夕飯前の時間だった。家出といってもそんなに遠くに行ける訳はなく、なんだか友達の家には親と喧嘩して家出したというのが恥ずかしくて行けなかった。私は多摩川を二時間ほどぷらぷらして寒くなってきたしお腹も減ったので早々に家に帰った。家の門扉のところに父が立っていて一瞬ひるんだけどなんか憎まれ口をたたきながら家に入ろうとすると突然頬をひっぱたかれた。人生で初めて男の人に、というか母にもひっぱたかれたことはなかった。痛いというかただびっくりした。私がびっくりしていると父が目の前でぽろぽろと泣き始め、それにも驚いたのだけど気づいたら私は「お父さんごめんなさい」と言っていた。それを聞いてますます泣いてしまい私は慌てた。ひとしきり泣いたあと父は「なにか美味しいものを食べに行こう。何食べたい」と聞いてきたので私は「タコ焼きかな」とぽそりと言うと、そのまま母も一緒に新幹線に乗って大阪までタコ焼きを食べにいった。そのまま一泊し、次の日は休めばいいと言われ学校を休んでUSJで遊んで帰った。父は美味しいものを食べれば人はだいたい幸せという考えの持ち主だった。私は父が大好きだった。本当に好きだった。
  父は私が二十歳の時に肺癌が見つかり、手術して一度は治ったけれど再発して二年前私が大学を卒業、就職して少ししたくらいで死んでしまった。初任給でタコ焼きを食べさせてあげたかった。

 

  仕事が終わり更衣室でスマホを見ると、母から話があるから早めに帰ってきてとLINEがあり真っすぐ帰ると知らない浅黒い30半ばくらいの男がいて「今度この人と再婚することにしたから」と言われた。男の人は不自然なほど白い前歯をニカッとみせて「よろしく」と短くいった。信じられなかった。本当に嫌だった。その男が嫌というか母が嫌だった。そりゃまだ母は40歳だし再婚はいずれするかもしれないとはおもっていたけど早すぎる。しかもこの一軒家だって父が買ったものだし、なんて薄情な人なんだと私は思った。母は続けざまに「だから優雨ちゃんもね、もう立派な大人だし、働いてるし、この家出てもらおうかなって。ひとり暮らししたらどうかなって思うんだけど」と言った。信じられなかった。母が発する濃厚な女の気配が気持ち悪かった。横で男がまた不気味なほど歯並びが良いスマイルで今度は「よろしこ」といった。少し立ち眩みをして、その場に一秒もいたくないと思った私は息を大きく吸い込み「おめでとう」と余裕の流し目で祝い予定があるからと家を出た。
  たった5分程の出来事だったけど、ストレスが酷かった。外は蒸し蒸しするし、もうこのストレスは経験上洋服を衝動買いして散財しなければ収まらない類のやつだった。私は電車に乗り込み代官山で降りると馴染みの店をいくつか巡ったけれど、こんなになんでも買ってしまいそうな精神状態なのに琴線にふれるものがなく、こりゃ駄目だ一旦落ち着こうとカフェに入った。オープンテラスもあったけど店内は冷房が利いていて涼しいので窓際の席に座った。アッサムで淹れた冷たいミルクティーを飲んでいると次第に落ち着いてきて、落ち着いてくると、あれ散財してる場合じゃないかと思い直した。だって実家を出ていかないといけないということは一人暮らしをするということでお金がかかる。というかなんで家を出てかなきゃいけないんだろう。本当にあんな胡散臭い男と結婚するんだろうか。お父さんと全然違うじゃないと思うと、父のことを思い出して悲しくなってしまった。誰かにすごく会いたかった。松坂くんに連絡をしても既読がつかない。そりゃそうだ仕事中だもん。私は今、会いたかった。もう彼氏でいいかと思い電話すると割とすぐにでて「今なにしてるの会いたいんだけど」と言うと、女の声で「あんた誰」と言われ、間違い電話しちゃったのかなと画面を見るとしっかり彼氏の名前が表示されていて、なんだこれと思い耳をすましていると背後で「ちょ、お前なにして」と焦った彼氏の声が聞こえてきたので電話を切った。すぐ何度も電話やLINEの通知が来てウザったいので電源を切った。ふざけんなと思った。あの男浮気してやがる。なんだよ、もうどうでもいいけど今別れたら浮気されて捨てられた女みたいになるじゃんか。なんでそんな感じにならなければいけないのか。ああ腹立つ。腹が立つ。腹が立ったらお腹が減った。よし何か美味しいものを食べにいこう。その時パラパラと窓の外では雨が降り始めたと思ったらすぐにザアザアに。わあ。ツイてねえ。通り雨っぽいからもう少しここで時間つぶすか。あ、今のうちに近場で美味しい店探すか、あ、でも今スマホの電源入れたら面倒臭いか。ああ腹が立つ。
「はは、女の子が舌打ちしてるのはじめて見た。いいね」
「え、あ、すいません。私舌打ちしてましたか」
急に後ろから話かけられて驚きつつも、私今無意識で舌打ちをしていたのかと恥ずかしくなった。「いやぁ参ったよ雨。見覚えのある顔だったから雨宿りに入ってきちゃいました」というので振り返るとそこには、いつかの飲み会で圧倒的に素敵だった林さんが立っていた。