YJ文庫『駄目なひと#2』

  私は大学を卒業後、地元の信用金庫に就職した。東京の大学に通ってたんだけど、地元は神奈川県の川崎市なので実家暮らしだし、特にやりたいこともなかったし、何となく何社か就職活動をして受かったところに収まっただけだ。友人にも何人かいたんだけど、就職活動が上手くいかなかったり悩む人の大半は何かしらの理想があって夢とかあって、それは素晴らしいことだけど、単に現実の自分との齟齬に悩んでいるだけのように思えた。言い換えれば自分のことが解ってない。一般事務。それでいいじゃん。私なんてそんなものよ。そりゃ忙しい時もあるけれど、ほぼ毎日定時に帰れるので平和なものだ。

  ある日の開店前。ATMに現金の補充をし、係ごとにミーティングを行った際、隣のデスクの新山さんが「橘、今週末に飲み会あるんだけど、どう?」と聞いてきた。新山さんは2つ歳上の先輩で、この退屈な職場での唯一の友人というか飲み友達で、見た目が派手だ。一緒に飲んでいて楽しいし、男勝りな気っ風の良さがあるのだけれど気が強いのと面倒見が良いのとで姉御肌を越えてオカンキャラになってしまっていて、綺麗な顔立ちなのにあまりモテない。本当は凄く乙女だったりするのに勿体ない性格だなとつくづく思う。私は童顔で背が小さいタイプなので私と一緒に飲んでいると男を釣りやすいとよく飲みに連れていってくれる。新山さんが事前に飲み会あるよと言うときは少し気合いが入っている時だ。相手は商社の人だろうか。私は私で今付き合っている男とはフェードアウトしていきたいと思っていたのでこれを快諾。私は『彼氏』が途切れるのが嫌だった。だって何か可哀想じゃん。別れたくなったら次の良さそうな相手を探し、見つかれば少し付き合ってみて、続きそうなら前の彼氏を切ればいいだけの話で、わざわざ独りになる必要もないし独りでいるのは寂しいし。

  当日、張りきり過ぎないラフな格好で出社。デニムのワンピースにゆるく淡いグレイのニットを合わせた。更衣室で制服に着替えていると、一個下の後輩である里中が「今日の飲み会よろしくお願いしますー」と言ってきた。里中は決して太ってはいないんだけど全体的に丸っこい。それは胸の圧倒的なボリュームからくるもので、いつも潤っている厚ぼったい唇と上目遣いと適度な天然発言でおじさん達から絶大な支持を得ている。あ、今日の飲み会は新山さんと私と里中なんだ。この支社の一軍メンバーじゃないか。対外的には私と里中はよく一緒くたに見られるので心外だ。白いふわふわのオフショルのニットにチェックのミニスカート。温かいんだか寒いんだかわからないただ男が好きそうであるという為だけに存在する服を着ていた。新山さんは私が意外と冷めていると知ってくれているから好いてくれていて、里中みたいな女は嫌いだと以前言っていた。和解したのか。それとも背に腹は代えられなかったのか。

  きっちり定時に就業し、かっちりメイクを直してから3人で中目黒に向かった。鴨とワインのお店。駅から程近いのに入り口が少しわかりづらく隠れ家的な雰囲気のある洒落た店だ。実は何回か来たことがあって、以前も新山さんとの飲み会だった。新山さんが選んでいる訳じゃないらしく、シティボーイを鼻にかけた小洒落た男が選ぶ店なのだろうか。個室に通されるとガタイがよくてラガーマンみたいな男とインテリヤクザみたいな男がふたり既に座っていて、ひとりは少し遅れてやってくるという。確かに顔つきは整っているし、商社に勤めているから収入もあるだろうし自信に満ちているモテそうな男性なんだけど、ふたりは全然違うタイプなのに全く同じような空気感で何だか不気味だった。料理はコースで出てくるのでお任せして、ワインは私は赤が好きだし鴨なら赤だろと思うのだけど白を頼む。男と飲む時はいつも白を飲む。なぜならそっちの方が女の子っぽいからだ。度数の割に飲みやすく隙があるように見えるから。私も新山さんも酒は強い。とりあえず皆最初はシャンパンで乾杯し、飲み会がはじまった。
  基本的に新山さんが会話をリードしていた。新山さんは会話をまわすのが上手いし、面白い。しかし駄目だよそんなことしちゃ。男に聞かれたことを馬鹿みたいに答えてりゃいいんだから。こんなプライドの塊みたいな、自分達のことを面白いと思っているような男達には相づちをうって適当に笑って、たまに大笑いして軽く肩に触れればそれだけでその気になってくれるのに。その点、里中は上手い。開始15分くらいでラガーマンは里中狙いなのがわかった。それがわかったくらいで里中は徐々にインテリヤクザとの接触を増やし、ラガーマンが会話に少し強引に割って入るみたいになってきたのを見計らってトイレにいった。そうやって俯瞰しつつも相づちをうちながら適当に笑い私は普通に食事と飲み物を楽しんでいて男側にまだ来ていない人がもうひとりいるのを丁度忘れるくらいにもうひとりがやって来た。
  控えめに遅れたことを謝罪して彼は林と名乗った。凄く素敵な人だった。背の割には少し痩せているかなと思うけど、切れ長の目なのに童顔で、なんだか笑うと柴犬みたいな人懐っこさがある。会話もなんだか知的で、3人は共に28歳と言っていたけれどひとりだけズバ抜けて落ち着いていて気づかいもあり、ニコニコしてばかりであまり喋らないけど喋れば気の利いた一言でみんなの笑いを誘った。素敵だった。そんな遅れてやってきた林さんは営業部で若きエースらしい。ラガーマンが自分のことのように自慢していた。3人とも素敵な男性にはかわりないんだろうけど、明らかに林さんの一強で私たち女性陣はみんな林さん狙いみたいな感じで、まあ今日は仕方ない、私は新山さんに譲った。しかし里中は天然のふりしてそんな女の雰囲気をしらばっくれて林さんに猛攻をしかけては軽くあしらわれていて、そんなところも林さんは素敵だった。酔いも手伝いだんだんと新山さんが珍しく女の子っぽくなってきた時、仕事の電話が入り林さんは抜けてしまった。遅れてやってきたのに一番早く帰っていった。何となく場が白けた感じになりおひらき。里中は最初から林さんなんていなかったかのようにラガーマンと腕を組み夜の街に消えていった。逞しい。インテリヤクザは見た目とは裏腹にお酒が弱いらしく後半べろべろで、そんなところは可愛かったけど早々にタクシーに乗り帰っていった。

  とりあえず駅に向かおうか、と新山さんがスマホをいじる。私もスマホをいじる。 まだ22時を少し過ぎたくらいだ。駅に着くと、新山さんが「あ、捕まった」と言い電車に乗って六本木に向かう。マッチングアプリで適当に男をひっかけてお酒を奢ってもらうのだ。私達は何だか飲み会で結果を残せなかった時によくこれをする。じゃあ行くぞーと元気良く 吠える新山さんの横顔は楽しげで、今日はいい夜だったなと私は思った。