精神的無銭飲食

ベッドの下に箱を設置してやろうと思って、今日外出したついでに箱を買った。というのも本棚と既にベッドの下に設置した箱からあぶれた本が増えて、ただでさえ狭い部屋をさらに狭くしているからです。

既に設置してある2つの箱は、なんか洒落た箱でその外観が気に入って購入したのですが、その分入る本は少なめで収納の観点からいうと残念。
今回はもうあの透明で長方形の箱、つまり収納する為だけにある箱というか、ま、本来の箱とはそういうものだ。といわんばかりの箱というか、そう全面的に主張している箱。箱箱しい箱を買おうと思った。

じゃあ、そんなの買わずにもう段ボールでいいじゃん。ベッドの下に設置するんだし。とか言う人がいるかもしれないけど、そこまでいくと流石にその感性は、住所不定無職の路上で生活する者となんら変わらないので、なるべく話しかけないで下さい。僕は薄い味の豚汁配ってないんでなるべく話しかけないで下さい。


という事で、新宿の無印良品で箱箱しい箱を購入。
まあまあデカい箱をこれまたデカい袋に店員さんがいれてくれた。
その際、その箱にジャストに合う大きさの袋がないのだろうか買った箱よりも些か大きい袋に入れ、持ち運びしやすいようにテープで端を留めるなど少し手間取っていて、僕は、ああ箱と袋は、その形状が容易に変化するかどうかだけの違いで用途は一緒というか存在理由は一緒だなあ、とか思うことで時間を潰すなどした。
前にも書いたけど、あらゆる店員さんが親切で、そこまで親切じゃなくてもいいのになあ、と不粋なことを思った。


さ、そんな馬鹿げた大きさの箱ではないけれど、夕方の混んでいる電車に乗るには大きいサイズの箱ではある。
今回に限ったことじゃないけれど、僕は電車で大きい荷物を運ぶ時には、非常に申し訳なさそうにしている。なんなら卑屈な態度というか、すいませんやごめんなさいが口をついて出やすい心理状態というか、わざとそうしている。
なぜなら単純に申し訳ないのが一点。

あとそうやって申し訳ない感じでいるんだから配慮してね、と周りにアッピールしているのが一点だ。
何をアッピールしているのかというとその中身は、少し避けてくれとか嫌な顔しないでくれとか乗り降りの際に優先してくれ、といった事です。

図々しく聞こえるかもしれないが、こんな事は当たり前で、なぜなら僕は申し訳なさそうな態度でいるからである。

これがもし、申し訳なさそうで卑屈な態度もとらず堂々と「我巨大なる荷物を運搬する者なり。したがって貴様が退け」みたいな態度なら周囲は何も配慮する必要はない。むしろ積極的に排慮で良いそんな奴は。
しかし僕は「へへへ、さあせん旦那、ちょっくらここにこの荷を置かせてくりゃせんかいの、ハアハア、すませんすませんすません、邪魔くさくて仕方ないですよね、すませんすませんすません、へへへ、しっかし僕もこれ運ばないと主人に鞭で叩かれるんでさあ。すませんすませんすません」とか今にも言い出しそうに腰も屈めて卑屈にしているのだ。だから配慮されて然るべきなのだ。
にもかかわらず世の中には自己中心的な考えしか出来ない汚泥のような粗忽者がいて、大きな荷物を運んでいる時特有の卑屈な状態のそんな僕に対して、避けてくれず、嫌な顔をして、乗り降りの際に優先してくれなかったりする。ナゲカワシイネッ!!

 

ハッキリ言ってこんなものは無銭飲食となんら変わらない。

申し訳なさそうな態度という料理を喰らっているのに、配慮という対価を払わない痴れ者。
逆に、申し訳なさそうな態度という対価を支払わず、配慮という料理を食らう痴れ者。
こういった精神的無銭飲食が横行しているのです東京は。いや、頭狂か…。

 

だからさあ、俺がさあ大きい荷物持ってんだからさあ、さっさと退けよッ。

全くさあ、自己中心的な奴が多いよねえ。