公正な神の庭

悲しいニュースはいつだってある。将来を期待された若者が重篤な病に罹患したというニュース。オリンピックでも活躍したであろうに。切に願う。スポーツに復帰出来なくてもいい。どうか病は克服できますように。

綺麗言と断じられても仕方がない。替われるものなら替わってあげたい。
僕の命を使ってください。
あなたは多くの人に希望を与え明日を生きる活力になる人だ。ただの凡夫である僕なんぞがのうのうと生きていくよりも、あなたが生きてください。


こうして、無垢な祈りは公正な神のもとに届けられた。


目が覚めると、視界いっぱいに広がる青。青だった。青一色。どこまでも青。端の方から中程にいくと青の濃度があがっていって紺になる。というわけでもなく、どこまでも均一な青。一色のみ。単一の青だった。
ここはどこだろうか。いつも目を開けると最初に視界に飛び込んでくる天井の染みがない。怒った人の顔のように見えるあの染みが。というか天井がない。

上半身を起こす為、身体を捻り煎餅布団に肘を立てようとしたが、布団もない。
芝生だ。僕は草原に寝転がっていた。見える範囲には雲ひとつない青空とどこまでも平らな草原のみ。青と緑の世界。不思議なのは、燦々と太陽の光が降り注いでいる。という表現がぴったりな明るさなのに、遮るものなどどこにもないのに、太陽が見当たらないところだ。「ここはどこだ」今度は口に出して言ってみた。すると左耳元のすぐ後ろで「公正な神の庭だよ」と少し甲高い溌剌とした声。
びっくりして振りかえると、そこはどこまでも広がる草原。誰もいない。

「誰?誰かいるんですか?」
「いますよ」また左耳元のすぐ後ろで声。振りかえっても誰もいない。
「誰ですか?どこですか?いないんですけど振りかえっても。あとここはどこですか?」
「私は公正な神です。どこにいるかは少し難しい質問ですね。敢えて説明するなら、どこにでもいます。あと、ここは公正な神の庭です。」
「公正な神の庭?というか公正な神?」
「公正な神の庭です。そうです私は公正な神です。公正です」
「公正ですか」
「公正ですね。公正な神ですから」

「公正の神ですか」

「違います。公正な神です。」
「違いがよく分からないんですが、わかりました。あの、僕はなんでここにいるのでしょうか?」
「あなたが望んだからです」
「僕が…?」
「あなたは将来有望なスポーツ選手が重篤な病に罹患したニュースを見て、替われるものなら替わってあげたい、僕の命を使ってください、と祈りましたね」
「祈りました」
「叶えてさしあげましょう」
「マジですか」
「マジです」
「僕はどうなるんですか」
「死にますね、彼女のかわりに」
「マジですか」
「マジです」
「まあ、でもいいか。僕なんて生きていても仕方ないし、昔から勉強もスポーツもダメで、夢もないし、恋人もいないし、友達もいないし、おっさんなのに仕事もしてないし。1日中家の中でじっとして天井の染みを見ているかスマホゲームばかりしてる人間ですから。いや、人間ていえるのかな。家具ですね。家具みたいなものですから。お願いします僕の命を使ってください。知り合いでも何でもないけど、彼女の命を救ってください」
「わかりました。ではあなたの命を使いましょう」
「これで彼女の病は治るんですね、良かった」
「治りません」
「え?何で?僕の命を使うんですよね」
「使います。あなたは死にます。彼女の病は治りません」
「え、だからなんで?」
「足りないからです」
「足りない?」
「はい、足りません」
「どういうことですか?」
「あなたの貧弱な魂では、彼女の崇高な魂を救えないということですね」
「え、貧弱な魂?僕が?」
「昔から勉強もスポーツもダメで、夢もないし、恋人もいないし、友達もいないし、おっさんなのに仕事もしてないし。1日中家の中でじっとして天井の染みをみているかスマホゲームばかりし」
「貧弱な魂でした。ナマ言ってすいませんでした」

「彼女は天性の才能を持ち、筆舌に尽くせぬ努力と運を持ち合わせ仲間にも時流にも恵まれ成功が約束された人間でした。さらに今現在も自分の力で病に立ち向かおうとしています」
「崇高な魂ですね」
「そうです。んー、ふむふむ。では、あなたがよくしているスマホゲームで説明しましよう。あなたのしているスマホゲームではキャラクターにランクというものがありますね?」
「ありますね、レアとかノーマルとか」
「言ってみれば彼女はURなんです」
ウルトラレアですか」
「はい、URでアール」
「ん?」
「一方あなたはNです」
「ノーマルですか」
「はい、それが一番下なのでNですが、本当はもっと下です」
「そんなに下ですか」
「そんなに下ですね。そんなあなたの命ひとつで彼女を救いたいなんて烏滸がましくて鳥肌が立ちますサノバビッチ」
「え?…あの、あなた公正な神ですよね」
「公正な神です」
「なんかあ、さっきから聞いてるとさあ腹立ってきた。命って平等じゃないんですかあ?」
「命は平等じゃありません」
「マジか」
「マジです。公正な判断のもとに、あなたはNです」
「そっかあぁぁ」僕はため息をついた。
「説明続けますね。で、Nを10個合体させるとRになります」
「レアね」
「で、Rを10個合体させるとSR。SRを10個でSSR。でSSRを10個でURでアール」
「なんなんですかさっきから。吉岡里帆好きなんですか?」
「黙れよ」
「すいません」
「であるからして、あなた10000人分の魂が必要なんですね」
「マジですか」
「マジだよ。しつこいな。頭悪いゾォテメーはあ。だからNなんだよお前はクソがコラお前は」
「ちょいちょい怖いですね。では僕の命を捧げたところで彼女の命は救えないんですね」
「今のままでは救えません」
「今のままでは?」
「はい。試練があります。あなたの魂を10000人分にすればいい訳ですから」
「あ、じゃあそれやります」と言うと、ひゅうううううーッッという大玉の花火が打ち上がる時のような音がして、見上げると黒い点が徐々に大きさを増し僕目掛けて降ってきた。慌てて飛び退くと、直後轟音と共に地面が揺れ、土煙が舞い上がった。どしゃどしゃと僕に土砂が降りかかった。
尻餅をついたまま土埃の中心をみやると、空から降ってきたものは、Xの形をした人を磔に出来る石の祭壇みたいなものだった。わ、Xの形をした人を磔に出来る石の祭壇みたいなものが空から降ってきたな、と思った次の瞬間、僕は瞬きをしたのだろうか、それくらいの一瞬の間があったのだけれど、気がついたら僕はその石の祭壇に磔にされていた。Xの形通り、両手を万歳のように脚をぐっと広げてそれぞれ両の手首、足首に枷がついていて磔にされている。枷というか、もうめり込んでいる。上等な溶接を施したかのように枷の部分がくわっと僕の手足首を掴まえて離さない感じ。

「僕は何をすればいいんですか?」
「何もしなくていいです。ひたすらそこで耐えてください。これから10000時間かけてあなたを切り刻みます」
「え?」
「切り刻みます」
「そんなことしたら死んじゃうじゃないですか」
「命捧げたんですよね?」
「あ、そうか」
「あなたは痛みに耐えて魂を錬磨する必要があるのです。あと通常なら死に至る傷でも死にません10000時間経つまでは。私の力で。痛みにひたすら耐えて下さい」
「な、なるほど」
「では、一番身体の部位でいらないところは、どこですか?」
僕は少し考えて、左手の小指と答えようとして、それでいいのか?と考え直し、ちゃんと熟考した末、初心にかえり「左手の小指」と答えた。
「わかりました。では左手の小指からスタートですッツ!!」とバラエティ番組の司会者のように公正な神はシャウトした。その声に些かも人を加虐する喜びの色が含まれてなくてかえってゾッとした。
僕はスパン、と左手の小指が刃物で切られるイメージを抱き、目を瞑り歯を食いしばった。しかし、暫く経っても何も起こらず拍子が抜けて力を弛めて、何なんですかびびらせて困っちゃうなあみたいな顔をした瞬間、左手の小指の爪と肉の間に冷たい違和感がありその後、ズブズブと鋭い痛みがゆっくりと走り、絶叫。ひたすら熱い。痛い。熱い。痛い。熱い熱い痛い。目を開けて恐る恐る見ると、指はそこにあって爪の部分が真っ赤になっていて血がポタタッと垂れた。
「痛い痛い痛い痛いああーあ、ああー、ふぅーぅ、はあはあ、ちょ、なんですかコレーはー!?ちょちょちょ、なに、なに、なになんですかー?痛いなああ」
「左手の小指の爪と肉の間に針を刺しました」
「ええ、ちょ、ええーえ、ちょなになんですくわ?そんなことす、すら、するんですかハアハア」
「します。あなたの魂を錬磨する訳ですから、指を切って終わりという訳にはいきません」
「そ、そうですか、そうなんですか、そういうものですか。はあ、はい。なるほどね。でも、でもですね、でもでもでもですよ、こういうのは、事前にコレコレこういう感じですよって説明してくれないかなああ、ねえ、あー、もう痛いく、く、くぅ」涙があふれた。痛みが過ぎると何か知らないけど、涙が鼻水が唾液が汗が身体から水分がドバドバ出た。
「じゃあ、説明しますね。まず今、針を爪と肉の間に刺しましたけど、次はコレを左右にぐりぐり振ります」
「マジでふか」
「マジだふ。で次に、指をハンマーで砕きます。これで中の骨はぐしゃぐしゃになります。で、そこを10分に一回ちょんちょんします。これ痛いです。で、それを数時間やって、そこではじめて左手の小指を切断します。指を切ってしまったら一本につき一回の痛みだけど、こうしたら一本の指で何回も魂の錬磨が出来るでしょ?そしたら次は左手の薬指です。基本は同じ様な工程を辿り手足の20本いきますが、バーナーで炙ってみたり、注射器で水を指が爆ぜるまで注入したり、ウツボカズラってわかる?食虫植物ね、あれのネズミとかの小動物もいけるやつもいるんだけど、そこに指を浸けてみたりとバリエーションは考えてあります。豚に食わせたり。治りかけの患部をベリベリ剥がしたり。基本3段階くらいの痛みを辿ってはじめて切断ですね。指からはじめて、腕、肩、胸。足の指からはじめて、ふくろはぎ、腿と進んでいくかな。その合間に合間に耳とか目と鼻や唇はなくなっていきますね、それで内臓系なんですが、それは」
「すいません」
「なんですか」
「過酷ですね」
「過酷ですよ」
「聞かなきゃ良かった」
「先に教えてくれと言われたんで」と冷淡にあくまで公正に言われ僕は少し吐いた。
「ハアハアあば。で、え、次は指をハンマーで砕くんでしたっけ?」
「そうですね」
「砕くって。骨もバラバラになって肉突き破って出て来ちゃうじゃないですか」
「そうですね。痛いですよ、これをちょんちょんされるのは」
「あの、もうちょっとユルくできませんか?」
「それでは魂の錬磨にならないじゃん。なになのお前」
「すいません。や、や、や、そうなんですけど、もうちょっと段階を踏むというか、最初は折るくらいからはじめたいというか」
「だからNなんだよ。でもまあ仕方ないか、いいよ、最初はじゃあゆっくり折るね」
「ありがとうございます。」というと、ひとりでに、勝手に、まあ公正な神の何らかの力によって、左手の小指がゆっくりとそれはゆっくりと外側に湾曲しはじめた。何だかジェットコースターみたいだな、と場違いな事を思った。頂までゆっくりと登りあとは真っ逆さま。人体の構造上それ以上は外には曲がらないんですよ、という地点に来ていることが、痛みによってわかる、というか、痛い、ヤバい、折れる、俺、左手の、小指が、折れ「すいません!!」
「…なんですか?」
「あのー、その、あ、やっぱ、その、無理です。はい。言っちゃいました。無理でした。ごめんなさい。無理です。帰りたいです。ごめんなさい。所詮Nでした。帰らせてください、というか、帰せ!帰らせろ!ふざけんなッ!何が公正な神だ!死ね!痛い痛い痛いよー!小指がー、もうー、なんなんだよ、なんで俺がこんな目に、くそくそくそ」ともう無茶苦茶に無様というか、自分勝手というか、まあ、僕なんてこんなもんですよ。ごねてごねて事態が好転したら儲けですよ。本当に痛みで、小指の爪と肉の間に針を刺されただけで、なぜ自分がこんなことになっているのか全くわからなくなってしまった。
「とにかく、やめます。ごめんなさい」と言うと公正な神は「わかりました」と言った。
「え、帰れるんですか?」
「はい帰れます。他にもいるんで」
「他にも?」
「はい。実はあなたの様なNクラスの方が10000人います。あなたからは見えないでしょうが、この草原の他の場所で同時進行で同じ様な事が行われています」
「そうなんですか」
「そうなんです。全員が正しく魂を錬磨出来れば一時間で済みます」
「それなら、ちょっと我慢出来るかもしれない。失うのは左手の小指だけで済むかもしれないって事ですよね?」
「それは分かりません。あなたの様にリタイアする方もいますからね」
「ちなみに今何人リタイアしてるんですか?」
「7000人です」
「ダメじゃん」
「ダメですね。まあNですからね」
「でも、誰かが頑張ってくれるかもしれないですね」

「そうですね」
「あ、そっか。そもそも僕がもしRクラスなら1000時間で済んだって事ですか?」
「そうですね」
「SRなら100時間で」
「そうですね」
「やっぱ僕リタイアします」
「そうですか。仕方ありませんね。ではさようなら。」


ポンッ。と軽い音がして、世界にヒビが入りバラバラと割れた。起こってる現象の割に音がパリとかポソとかカラカラカラみたいな軽い音でちぐはぐで変な感じだった。世界は軽い音と共にガラスの様に割れた。
青や緑の後ろは白かった。
ただの白。単一の白のなかで、僕にもヒビが入りパリと割れた。


目が覚めると、天井の染み。いつもの光景。僕はむくりと起き上がると、ハローワークに行こうと思った。左手の小指の爪は真っ赤だった。


5年後。
東京オリンピックには間に合わなかったけれど、彼女は無事病を克服。パリのオリンピックの水泳競技ではメダルを獲得し日本人、いや世界を感動させた。自らの力で。

僕はあのとき、全員がリタイアしたと思う。
僕はというと、今は安月給だけど仕事もしてる。友達も出来たし好きな人もいる。Rくらいにはなれただろうか。ははは。やってることはノーマルだけど。それもこれも、テレビに映るメダルをかかげる彼女のおかげだ。


(おわり)

 

ブログ書こうと思ってたのに、お話になっちゃったな。読んでくれた方ありがとうございました。