幸せであり続ける事が大切なのです。

本日のブログのタイトルで宗教かな?と思った方、違います。安心してください、ダイエットブログです。

 


食事をすることによって、幸福感を得ることの出来るホルモンみたいのが分泌されて、要は、幸福感の低い者ほど食事をすることによって簡単に幸福感を得ることが出来るので食べちゃう。結果肥る。みたいな事を昔なんかのテレビで見た。

ナルホー。これはあると思う。
僕なんかは、腹が減ってないのに、何か食べちゃったり、食ったばかりでお腹いっぱいなのに、お腹減ったとか心にもないことを言って自分を傷つけてしまう。
昔はその心の隙間を煙草が埋めてくれた。口さみしいのをノンカロリーで埋めてくれていたのだ。というかニコチンが幸福感を与えてくれていたのだろう。キャ。煙草をきっぱりやめてから、ジリジリと太って、痩せたりリバウンドを繰り返して、いつの間にか引き返せない地点を肥えてしまった。上手いッ!ヨッ!越えてと肥えてが掛かってる!という喝采が聞こえてきそうですが、これは、ひとえに僕が幸福ではないから肥っているという事になる。

つまり、僕が痩せるには幸福になればいいということ。幸福であり続ければ痩せ続けて、やがて肉体は消滅。ま、そこまで幸せというのは、すなわち致死量の幸せを摂取しているということになるので、そこまで幸せじゃなくていいから、ほどほどの幸せを感じ続ければ、こら、勝手に痩せていくと。こうなる訳ですな。

 

そう考えて、俺は思った。
楽勝、と。
は?ほどほどの幸せ?んなもん、そもそも『幸せ』 なんてものは、考え方ひとつだろう。しかもほどほどでいいんだぞ。楽勝楽勝。
どんなに周りから幸せそうな境遇にあると思われていたって、本人が陰気でまたは強欲で、足りるということを知らなければ不幸だろう。
逆に、もう不幸過ぎて不憫を通り越して死んだ方がいい。殺してあげたい。等とどんなに周りが思っても、本人が幸せなら、幸せなのだ。


ヨッシャ!まじ楽勝。
俺はわりと道端を歩いていてもそこここに咲く名もなき花の美しさに涙を流したり、月の光彩に心奪われ謌を詠んだりと感受性パないスねYJは、と幼少の頃から言われてきた。
年を経て、処世術としてその過敏な感受性を封印してきたけれど、少し、その感受性の扉を幸福方面に解放してあげれば良いだけだ。

 


今日も幸せな事がたくさんあった。たくさんの幸せに囲まれて僕は幸せです。

まず朝、起床後いきなりの快便。さらにおしりも綺麗に拭けた。水を流すと便器に粘性が高かったのか、便の残骸が少量付着していた。綺麗に清掃してしまおうかと思いブラシを手に持ったけれど、幸福に対して感受性を解放したYJにとっちゃ、そんな光景もいとをかし。いや、もののあはれ。日本には八百万の神々なんて考え方もあるし、この穢れとしか思えない便器についた便も何かしらの神と崇め清掃を中断。よくよく見るとその穢れの形状はハートマークに見えないこともなく、今日は恋愛運が絶好調なのかしらん。とか朝からウキウキしたものです。

 

 

夜ライブがあって、ま、さっき朝起床とは言い条、ほぼ昼に起きたので夜までの数時間何して過ごそうかと考えた時に、昨日録画していたお気にのテレビドラマが丁度最終回でそれを視聴し大層興奮して、その興奮を歌にしようと、ま、時間が丁度よく余っていたから、ギターなんぞポロポロ弾いていたら、わ、このご時世にミリオンセールス確定ッ!みたいな奇跡のメロディが降ってきて、幸福。ま、記録用に録音してなかったので、夜になった今はもう全く覚えていないけれど、けれど、これ覚えていたら、お笑いを辞めなければいけないし、それは不幸なことなのでラッキー。マジで録音してなくて良かったゼと思う。あんまり覚えてないや。ミスチルの『あんまり覚えてないや』という歌をそのまま追体験できてラッキーラッキー。

 

ライブ会場に入る前にコンビニでカップのコーヒー買ってえげつなくリラックスしようと思ったら、なんかコーヒーマッシーンはあ清掃中でえ今無理なんよ、と店員に不遜な感じで言われ、じゃあ缶コーヒー買おうかなと思ったけど、こんなに不遜な感じの店員がいる店では買いたくないッ!と思い外に出ると、自販機が目に見える範囲であったのでヨッシャ幸福。財布を見ると小銭が500円玉しかなくて、それをコイン口に投入しようと思ったら、ポロリと落とし排水溝に吸い込まれていった。

幸福で身が震えたよね。

だって今その銭で買える多少のリラックスによる僕の幸福なんぞ戯けてるというか、だって、あの転がっていった500円玉は、もしかしたらいつか腹を空かした少年の命を救うかもしれない訳だしね。どういうことかというと、その少年はシングルマザーに育てられているんだけども、母は母というかまだまだ女で、放恣な恋愛人生を送っており、毎日のその時財布に入っている小銭をテーブルに置いて少年のことはほったらかしで、情夫と旅先で長期滞在なんかもしょっちゅうで、今回の長期不在もそんなことだろうと少年は思っていたけど、ひと月経っても帰ってこず、金はとおに無くなり、食べるものも家の壁を剥がしてちゅるちゅる吸うみたいな生活で、これ以上は死んでしまう!と家を出て街を徘徊。果ては公衆トイレの脇で襤褸雑巾の様になりあとは死ぬだけみたいな時、排水溝の奥にキラリと光る僕の500円玉を発見し、なにがそんなに高くなるのか知らねえけど900キロカロリーくらいあるカップやきそばと2リットルのコークかなんか買って食って九死に一生を得るかもしれない。そんな幸せなことはない。

そう考えたから、僕は500円玉を排水溝に吸い込まれた時に、幸福で身が震えたのです。

 

 


その他にも、似たような幸福が本日は沢山あって、幸福過ぎて逆に怖い、苛々してきた幸福過ぎて。なので僕は帰宅すると、なんか知らんが900キロカロリーくらいあるカツ丼を貪り食ったのさハハハ。コークも鯨飲。

 

 

【ダイエット15日め】


体重77.4㎏
体脂肪率25.2%


何か全然減らないけど、僕は全然気にしないっていうか、この減らない日々を愛すというか、逆に幸福。だって増えてないからね。これは幸せな事です。