本命チョコを貰いたい人生だった。

これは毎年思う、否、想うことなんですが、バレンタインデーに本命チョコを貰いたい人生だった。切に、切に。


ここで論ずる本命チョコというのは、義理チョコ友チョコにはじまり近年では様々な○○チョコがあるけれどそういった芥は論外として、家族、まあ母親とか娘、娘はいないから分からないけどそういった家族がくれるチョコなんてのはある意味で本命のチョコ、愛ン塊みたいなものだけどモチロンここでは除外。さらには交際中の恋人から貰うチョコもここでは本命チョコとは呼びません。

つまり、チョコを渡すと共に愛の告白、またはその行為自体が恋慕の表明であり、交際希望の申請が付随する様式の寄贈というか、女性にしたらその結果次第で至福の時を迎えたり涙を流すことになるのかの二択であり、男にしたらどちらにせよ貰えたらニヤニヤしてしまーう、というチョコなんだーよねーッ。
そうッ!これをッ!本命チョコッ!と当ブログでは定義させて頂きますッ!!


恥ずかしながら、私、吉本純(34)は人生で一度も本命チョコを貰ったことがありません。いやはや、本命チョコを貰いたい人生だった。

だった、と過去系を使うのは、本命チョコなんてものは学生時代にしか存在しないからなんですわハイ。

これは私が本名千代子に会ったことがないからかしらん?大人に、社会人になってからも貰えるものなのかしらん?だって大人になってから、下駄箱のある生活なんてあまりないでしょう?


や、当然我が家には下駄箱がある。しかし、そこにバレンタインデー当日に差出人不明のチョコが手紙も添えて置いてあったらそれは単なるホラーだ。恐ろしい。チョコだと思わない。呪いに近い何かだ。

では、出先の下駄箱って何があります?ああ、居酒屋の座敷席に通された時などにもありますな。
でも、ほろ酔って帰りしな下駄箱に札さしこんで我が外履きをとろうとしてそこにチョコあったら、単純に間違えたあと思わぁなあ。酔ってっし。アレー?とか何とか言って、もう一度札を確認したりして外履きは我のですなあ、と思い、そのチョコは店員さんに預けちゃいますな。

じゃあじゃあ、私なんかは個人的に契約してる下駄箱がありますけども?と仰る方もいるかもしれない。個人的に契約してる下駄箱とは何ぞ?それは、ジムとかのやつですな。筋トレとかするジム。
ああいった場所には月極めいくらで貸出している個人的なロッカーや下駄箱みたいなものがありますものね。
しかし、ジムのロッカーにチョコなんて入ってたらそれはもう嫌がらせですものね。痩せにきてるんだから。

ここまで読んでイヤイヤ、本命チョコに下駄箱いる?と思ったレッディーッセンッジェントゥーメンッは、ハイ(挙手)バレンタインデーというものが何たるか全くわかってないと思います!思いますッ!

そもそーもが青春色が濃厚な儀式なのに、そこに下駄箱がなくてどうするのです。

僕の学生時代の下駄箱達をふりかえると、小学生の時はもう単なる棚で個人のスペースは一応あるけど乱雑に靴を置く為だけの棚でした。中学も同様に棚でした。丸見え。青春丸見え。棚でした。
そして高校はなんとひとりびとりに、ちゃあんと蓋がついた、しっかりとした個人のスペースが確保された箱でした。遂に青春の巣箱を手に入れた私でしたが、三年間、ついぞ幸福の青い鳥は舞い降りてこず、閑古鳥が鳴くばかり。オイ女子教室でチョコ配ってる場合じゃないんですよ、くれるなら食うけど、オイ女子、女子どうしで手作りのクッキーなりケーキなりを交換する日じゃないんだよ、くれるなら食うけど。と悔しい思いでそれらを頬張る年月。私は下駄箱に入っているチョコ、いや敢えてショコラと呼ばせてもらおう。下駄ショコラ以外に興味はないのです!!

 

そして、終わった。青春が。

それ以降毎年想っている、きっと来年も想うことでしょう。

本命のチョコを貰いたい人生だった、と。


これ以降の人生で本命チョコをもし私がもらうとするなら、もう下駄箱を持ち歩く事くらいしか思いつかない。

 

ヨーシッ!今日はハンズでもいって木材買ってきてDIYだな!

 

これで決まりッ!