書きかけの小説の続きでも

僕は小説を最後まで書いた事が2回しかないのだけれど、どんなに長くなろうが短かろうが、終わりまで書くのが大変であって、はじまりは結構誰でも面白そうに書ける。
↓これは2016年の12月17日に書いてみようとして書きはじめた小説の冒頭部分なんだけど、久々に読んでみたら結構面白そうな冒頭だなと思ったんだけど、とりあえず読んでみて下さい。

 

 

 

 

 


ひどく寒い朝、朝と呼ぶにはいくぶん早い夜よりの、ひどく寒い朝のこと。11月中での降雪が50数年ぶりに観測された東京の片隅で、武者小路胤篤(むしゃのこうじたねあつ)は、ベシシッとくしゃみをして目を覚ました。
炬燵布団をグイと引寄せ、うむむと唸り寝返りをうとうとするも腰周りが炬燵の上板に引っかかり無理。昨晩、酒を呑みそのまま眠ってしまったのである。窓の外にふる雪を、風流だねえとか言いながらチビチビ呑んでいたのだけれど、それは雨に近いべしゃべしゃの雪で、積もりもせず道路のアスファルトをただ濡らすだけ。しかも胤篤の住むアパートの部屋202号室の窓の外はすぐ隣のマンションの壁であって、風流でもなんでもない。ではなぜ胤篤は風流だねえとか言いながら酒をチビチビ呑んだのか。それはただの気散じ。昼間職場で嫌な気分になるハプニングがあって家に帰ると、そういえば蛍光灯が一本切れかけていてチカチカするのでこれを消し、灯りはTVから漏れる光という薄暗い部屋で降雪。べしゃべしゃと降雪。気温と感情の浮き沈みは密接に関係していて、やはり寒いと気が沈み、そんな気分は嫌なものですね。と酒を呑みふる雪を眺めつつ、風流だねえとつぶやいたのである。そうつぶやくことで、今自分は風流なことをしているし感じている。そういうことをいちいちしているし感じることが出来るのは心にも生活にも余裕があるハイソサエティな人間であるんだよ君は、と思うことで気分を高揚させたのである。そしてそのまま泥酔。炬燵で就寝。TVの音量は下げてあるので何を言っているのかわからないどこかの国の呪詛のようなものがボソボソと聞こえる部屋で、数時間後、ベシシッとくしゃみ。軽い覚醒。もうひとつベシシッ。
炬燵に入ったことがある者なら誰しも経験したことがあると思うが、炬燵に入り何をするでもなくリラックスしていると、ぬくぬくが下半身を包み快適至極、自然すぐにうとうととしてくる。うとうとし始めたんだから寝具に移りちゃんと眠ればよいものの、とても抗い難い力が作用して、それは面倒くさいと呼ばれるものだけれど、炬燵からはとても這い出れない。やがて横になり肩まで炬燵布団をひっかけ眠る。眠るのだけれどすぐに温いを通りすぎ熱いと感じ発汗。発汗で不快。そして無意識の裡に炬燵の電源をオフ。快適な温度になり発汗したまま炬燵の温さはなくなっていき、やがてキンキンに冷えた汗で濡れそぼる部屋着に包まれているのに眠りは深い域に。目を覚ます頃にはえらく体調不良ということは往々にしてある。胤篤もご多分に漏れずこれで、折角目覚めたのに時計を見てまだ眠れるわ。と思い、またぞろ炬燵の電源をオン。
炬燵の中がまたぬくぬくと温かくなり、あ、眠りの扉がまた開いたなあ飛び込んで惰眠を貪るゾと思ったその時、胤篤は屁が出るなと思った。それもただ屁が出るのならよいのだけれども、腹部に蟠るこの汁感は放屁と共に脱糞の危険を予感させるに充分なほどの汁感だった。むむ。胤篤は元来胃腸が弱くてしょっちゅう腹を下す。昨晩はむぎ焼酎の牛乳割りをしこたま呑んだ。酒を呑んでも腹は下るし、牛乳を飲んでも腹は下るのでむぎ焼酎の牛乳割りなんて確実に腹は下るのだけれど、胤篤はこれが好物であった。因果なものである。そんな経緯から屁が出るな、しかしこの汁感は脱糞も予感させる。なのでトイレで便座に座り放屁するのがベストではあるが、たかだかこの数メートルの移動がもう滅茶苦茶面倒くさい。炬燵の中と外の温度の差、もう眠りの入り口であったことが作用して、胤篤はこのまま放屁することにした。わざわざトイレに駆け込んで単なる屁だったら馬鹿である損であるそんなものは臆病者のやることだ。だったらチャレンジ。ハイリスクハイリターンの生き様。このまま炬燵で寝転んだまま放屁してさっさと寝たら気持ちいいゾ。よっしゃチャレンジだ。くっと下腹に力を込め肛門の括約筋を弛めると、胤篤は勢い良く脱糞した。どわわ。チャレンジ失敗。みるも無惨な敗北で、汁感が充分な脱糞は下着からスウェットへ、そしてカーペットにまで軽々と浸透。悲惨。下半身を温かいと熱いの間の汁に包まれ、なんか知らないけど照れ笑い。結果、起床して掃除をしなければいけなくなってしまうという完全なる自業自得。愚か者である。しかし、これは胤篤に限ったことではなく、我々も日常生活の中で横着したことによって厄介がより深刻になるということはよく起きる。これは太古の昔からあって故に昔の賢人は後進の為「急がばまわれ」というありがたい諺を残したのである。
まあ兎に角、これが武者小路胤篤が死ぬちょうど1年前の朝の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 


これ、今から続き書いたら100日後に死ぬワニをパクったと思われるんだろうな。やめとこ