やさしい嘘

今朝がた母からのLINE。
実家の猫、しょうちゃんの写真とともに「動かなくなった。ご飯も全然食べない」とのこと。これは異常事態である。しょうちゃんは食い意地がはっているのでご飯を食べないというのは、分かりやすく異常であるし、過去体調が悪くなったときもそうであった。
さらに、下痢と嘔吐があって、母はパートで家を空けるので不安だという。


わかった。とLINEを返して急いで実家に向かう。歳も歳なので、そろそろ覚悟を決めておかねばならない時期なのかもしれない。
この4月に実家は引っ越していて、猫は環境の変化を最も嫌うらしいので、母もしょうちゃんの体調には目を配っていただろうけど、今回体調を崩してしまい大層不安がっていた。


実家に着く。


水とご飯の皿の定位置の前に毛布が敷いてあって、ぐったりと寝転がっていた。ご飯は減っていない。
首を少しあげてコチラを伺い、またすぐに寝た。

しょうちゃんと一緒に暮らさなくなって久しい僕は、僕の方は相も変わらず好きだけど、しょうちゃん側にしたら物理的に離れた人間とは心の距離も離れ、同じ空間にいても微妙な距離感が生まれてしまう。
なので今回帰ってくるのも少し躊躇った。体調が悪い時にそんなに親しくない人間にいられたら精神的なストレスに他ならないからだ。
しかし、もしこのまま死んでしまうような体調の悪さであったら独りで死なせる訳にはいかない。

頭を撫でると薄く目を開き、声にならない声で少し鳴いた。首から顎にかけてさすると、身体をあずけてきたので少し安堵した。ストレスだけにはなりたくなかった。


横に寝転がってしょうちゃんの、ぐったりして元気はないけれど、確かな生き物の息づかいを聞いていた。
動物は、呼吸を合わせるとリラックスするらしい。
自分の呼吸をしょうちゃんの寝息と合わせていると、なんだかこちらまで眠くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

しょうちゃんは母が保健所から貰ってきた猫だ。毛がボッサボサで耳と目がやたらと大きく、キツネのような見た目であった。尻尾がスラリと長いところが気に入ったと母は言っていた。

当時、僕は母が新しい猫を飼うことに決めた事が嬉しかった。

 

というのも、マメちゃんが死んでしまってから母はずっと塞いでいたし、それから立ち直っても新しい猫を飼うという選択肢は全く視野に入れてなかったからだ。あんなに辛い想いはもうしたくないと。

マメちゃんというのは、僕が小学四年生の頃に我が家にやってきたキジトラの雌猫だ。
姉が中学校で拾ってきた。段ボールに入れられて捨てられていた四兄弟のひとりで、まだ目も空いていなかった。新しい飼い主が見つかるまでという条件で我が家で飼いはじめた。
何を食べるのかもわからず、スポイトで溶かしたミルクなどを口に入れたり、おしりを脱脂綿や綿棒で刺激することによって排便を促したり、目が空いてもまだ膜がはっていてグロいなと思ったり。
手探りながらも我が家では全員の献身的な飼育により、マメちゃんは少しづつ大きくなっていった。
姉の友達が一匹ずつ分けて持ち帰っていたのだけれど、本当に生まれたての仔猫達の飼育は難しかったらしく、マメちゃん以外は早々に亡くなっていた。

里親が見つかるまで、という条件で飼いはじめたので、名前をつけることはせず、みな『猫』と呼んでいた。もう、このまま我が家で飼うことが決まり家族の一員になっても『猫』と呼ばれていた。予防接種を受ける為、病院に連れていった時に名前を書く欄があり、姉が当時、好きだった漫画「まっすぐに行こう」の主人公が飼っていた犬の名前を着けた。と事後報告があった。上の姉以外は、マメちゃんに馴れず、マメちゃんをずっと親しみを込めて『猫』と呼んでいたけど。結局マメちゃんはすくすくと11年生きた。最後を思い出すと今でも辛い。


マメちゃんは肝臓癌になった。

母が乳癌を患い入院したり手術したり、退院後も何かと母に家族の気は注がれていた。母の件が一段落してはじめてマメちゃんのお腹がはっていることに皆が気づいた。病院に連れていくと肝臓癌だった。
母は1cmの癌だったけれど、マメちゃんはあんなに小さな身体で2cmの癌だった。


肝臓癌になると、腹水といって読んで字が如く、お腹に水が溜まりパンパンになる。日に日に痩せ細っていくのにお腹だけぼっこり膨れていて不気味だ。病院にいってそれを抜いてもらう。食欲もなく、食べてもほんのちょびっと。しかもそれも吐いて戻してしまう。
なので、病院で点滴をしてもらう。腕の毛をそって注射針を刺す。その痕が痛々しい。
マメちゃんは凄く人見知りの猫だった。本当に病院が嫌いだった。迎えにいくと唸っていたのに、こちらの顔を見て安心してうみゃんと鳴き、おしっこを漏らすなどしてしまった。

日に日に痩せ細る。でも腹水はたまる。家ではピクリとも動かず、動けず、ジッと辛そうにしている。
点滴する頻度が増える。すると当然、針の穴が増える。両腕が穴だらけだ。連日するようになると、点滴用の器具を腕につけたまま帰宅させられた。マメちゃんがそれが嫌で嫌で、動けないはずなのに、どこにそんな体力があるのか走り周り振り払おうとする。僕も泣きながらその器具を外す。翌日医者に怒られてもしかたない。マメちゃんは僕らにまで威嚇するようになる。辛い。けれど病院に迎えにいくとうみゃんと鳴く。病院は一回、一万円だ。経済的にも辛い。見ていても辛い。こんなものは人間のエゴなのだろう。みんな辛い。しかしやはりペットは家族。家族なんです。そんなに簡単には諦められない。この時期を思い出すと今も呼吸が浅くなり目の前がしょぼしょぼになる。

そしてある日病院にて医者から「これ以上は…」と告げられる。
マメちゃんはもう鳴くことも、目も見えていないようだった。
家に帰ってきて、毛布の上に置き家族の沈痛な空気に僕は部屋にこもるくらいしか出来なかった。
翌日、合同コントの練習があり、僕が外出している間にマメちゃんは死んだ。母と姉ふたりが看取った。
もうやばいかもしれない。と連絡があり、急いで帰ったけれど間に合わなかった。少し非難されたような気もする。
僕が部屋に戻ると、自分のかけ布団の足下辺りがポコリと猫一匹ぶん凹んでいた。寝たのだろうか?最近は僕の部屋にくることもなかったのに。猫は死ぬとき独りになりたがると言うけど、力をふりしぼりここまで来たのだろうか?いや、段差を飛び越えることも出来なくなっていたので、この凹みはただの偶然で、マメちゃんのものでも何でもない。気のせいだ。触れると温かい気がした。涙が止まらなかった。

 

死んでしまった悲しみはもちろんある。しかし連日の看病に疲れてもいた。お金も。だから変な話だけれど、嫌な話だけれど、死んでしまってホッとしたところもあるのだろう。そういうものもふくめた喪失感。自分が本当に嫌な奴に思えた。そして、こういう想いは家族みんなにあったと思う。

特に母が酷かった。食欲もなくなり、薄ぼんやりとしてしまっているし、家の中も汚いというか、テーブルの上に新聞や広告のチラシなどが乱雑に置かれていたり、床に埃が。床の埃は、掃除機をかけて綺麗にしてしまうと猫の毛を吸いとってしまい家の中からマメちゃんの面影がなくなってしまうからかもしれない。


一週間が過ぎた。本当に母は気の毒なくらい落ち込んでいた。


マメちゃんはいつも母と一緒に寝ていた。母の布団の隅っこで。母の寝室は和室で、リビングと繋がっていて、寝るときは襖をしめる。マメちゃんはその襖を頭でグイグイに押して自分で開ける。なので、夜寝るときは襖をぴっしり閉めたのに朝になると猫一匹通れるほどの隙間が襖と襖の間にあくのだ。


夜、みんなが寝静まった頃、僕が台所で喫煙していると、ふと足下のすね毛がふわっとなった。猫がすりっとしたかのようで不思議な感触だった。なんで自分でもそんな事をしたかは理論だって説明出来ないのだけれど、リビングと和室を隔てる襖を猫が一匹通れるくらい開けておいた。

翌朝起きると、母が興奮気味に、朝起きたら襖が開いてたの!猫来たのかなあ!すごいすごい!とはしゃいでいた。僕は何言ってんの、なんて白こい事を言っていたけど、僕のことなんて母はお見通しだ。互いに嘘をついていたのだ。

僕がそんなしょうもない嘘をつくくらい心配しているのを察して、元気になったよ心配はないよ。という嘘を母はついたのだ。なんてやさしい嘘だろうか。

 

それから母は立ち直ったように見えた。しかし、みながまた猫飼おうといっても二年くらいは頑として首をふらなかった。あんなに辛い想いはもうしたくないと言っていた。

そんな母が連れてきたしょうちゃんは、健康な猫だった。今まで体調を崩して病院に行ったことなんて、ほんと1、2回しかない。
そんなしょうちゃんが歳も歳で体調を崩して動かなくなってしまった。
母の動揺は離れていても、拙いLINEの文章からでも充分に伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 

ポリポリ、ぴちゃぴちゃという音でふっと目が覚める。僕は眠ってしまっていたようだ。音のする方に目を向けるとしょうちゃんがご飯を少し食べて、水を飲んでいた。相変わらず毛布の上からは動かないけれど、少し回復したのかな?


すると母が帰って来た。
おもむろに立ち上がるとしょうちゃんは母のあとをヨロヨロついてまわった。おしりをたっかく上げ、両腕を前に放り出し伸びをひとつすると、ヒラッとジャンプして椅子の上に。

回復してるのか、母が帰ってきて嬉しいのか。

母がしょうちゃんを病院に連れていくという。病院でも原因はわからず、少し元気になっていて、しょくよくも戻ってきてるっぽくて、特に問題はなさそうで良かった。
昨日は走り回っていたと母が言っていたので、きっと食い意地がはって変なものでも食べたのだろう。昔、病院につれていった時も何故かビニール袋が胃の中にあったこともあった。

本当に良かった。

しかし、何度も言うけどしょうちゃんももう歳だ。覚悟はしておかなければならない。

僕は母に、また具合が悪くなったらすぐに呼んで!と言って実家をあとにした。

もし、しょうちゃんが死んでしまったら、当たり前だけれどまた母はとんでもなく塞いでしまうだろう。


そしたら僕は何が出来るだろうか。ひとつしかない。また母に会いに行けばいい。

 

今度は僕がやさしい嘘を用意して。